命と心の問いかけのひとつ。

さて、また懲りずに自分への問いかけを一つ。
命という者が、Xaosという名を借りて私の元へとやって来た。それは、入院中の気付きでもあったし、ずっと私の元に在った心の空洞でもあった。
さて、命という者は一体何者で、誰のものなのか。
私にはそれを出せるだけの脳がもうない。何故なら、もう気が付いてしまった後だからだ。入院中のあの頃に立ち返るくらいしか出来そうにない。
***

(立ち返ってみていう)

私はずっと、自分の心が有るのか無いのか分からない状態で生きてきた。
そう、思い出すのは空っぽな胸。犯罪に巻き込まれた後からどんどん心はすり減って、ついには己の心の存在が全く感じられないようになった。心は、死んでしまったのだと、そう思った。ちっぽけな私という人間はいつか忘れ去られてしまうのだと、嘆いた。いつか死ぬのだと、諦めにした。明らめにもした。その気付きをした時から、私の心は剥離に剥離を重ねた。一枚も二枚も向こうから現実に立っている己を感じられぬまま、ふわりふわりと立ち尽くしていた。

そして、病院に入った。

私は、己以外の人格に出会って、初めて心らしい心の動きに出会った。
そんな事はない、と言い聞かせながらも、無いのではないかと考えていた心の存在が、初めて色鮮やかに感じられた気がした。それが、UやXaosとの出会いだった。虚無との出会いだった。人格が断片化していたからこそ私は何時も空洞の虚無の人格と共に生きていたが、逆に云えば、他の人格の中に心は有った。私は、主人格は繊細な心の部分を持ち合わせていてもそれを知覚する事ができない
知覚は他の人格が担っているのだろう。Aも、私も、自分が心を持っているだなんて思っていなかった。思い出すように感じるお互いの心の機敏を知って、漸く心を見つけたと二人して喜んだ事が懐かしい。
(あの時は、本当に嬉しかったなぁ。僕、本当に心のない魔物だと思っていたから。管理人の傍に居て漸く心が視えて。管理人の感じた事が僕にも伝わって来て。それを管理人に教えてあげたら、管理人も驚いた顔してさ。ふふ、本当、なんで忘れてちゃうかな。思い出して良かったよ。/A)

そして話は戻るが、Xaosは全ての命の化身だと、そう語ってみせた。
渾沌の、命そのものの化身だと。初めて命に一個の意識を見出された、と感激された事を思い出す。「私の事ですか。私の事ですね、あぁ嬉しい。忘れられてしまったかと思いました。もういいんです。たとえ貴方の症状の一個でしかなかったとしても、私が感じた悦びは確かに本物なのですから!あぁ嬉しい!また呼び戻してくれて!後でお話ししてください。私が表に出ていない間、唐鵙にどんな心の変調が在ったのかを。歌で。歌、歌が聴きたいのです。お願いします。/Xaos」

これでは当初の目的が話にでませんね。
無理やり戻して、命とは何者で、誰の物かという事でしたね。
私にとって、命と廻るもの。いつまでもいつまでも、常に移ろいながら回る、そういうエネルギーだと思っています。食ったり喰われたり、生きたり死んだり生まれたり、そこには必ず”命”が存在しています。命は、この星を廻る旅人の様な存在なのではないでしょうか。宇宙の塵の、微粒子のひとつひとつに、命は、渾沌なエネルギーとして宿っているのではないのかと思っています。そして、命は縛られず、誰の物でもないと、そう思います。全体における命は、きっと途方も無く広大な存在なのでしょう。

でも、もう思い出さなくても生きていける気がします。
一周回って、悟りの後の世界に突入してしまったような心地です。
在るがままの本当の意味、無価値の正しい意味。
それらを私は垣間見ることができたのではないかと思います。

霊声が告げてくる内容の内のひとつに、渾沌とのやり取りの事が有りました。尚、この時はXaos達の事を想い浮かべていました。私に降りてくる霊声は、何を意図しているのでしょうか。到底分かるものでは有りませんが、いづれ判れば良いなと思います。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。