信仰。錯覚と妄想

私は、宗教は一つに統合されたら良いのになと思っていました。
米の教えは、良心神と呼ばれる存在が存在する事、宇宙の創造神の元では皆同じという教えを良いなと思って信仰する事にしました。それと、この世の建て替えが行われて、その時にこの米の教えに従った者は救われるという記述があったからです。

各地の宗教の主神や教えを言葉で紐解いていく様は見事の一言でした。すっかり夢中になり、寝食を忘れて読み進めていった結果が統合失調症でしたが、まぁ、しょうがないです。でも、どちらかと言えば、この世の終わりが来るという危機感から読み進めていった米の教えでした。
どこを間違えればそうなるのか、自分が何か役をふられているのではないかと錯覚してしまいまして、可笑しく成りました。もしかしたら、人間が救急の時などに錯覚する「やるのは自分しかいない」という錯覚が起きる様な文章の造りになっているのかもしれません。実際、自分こそがその教えに登場する特別な存在だと名乗ってくる人があると書いてありましたし。

それで結局は、名乗りはしませんでしたが、私もその錯覚に嵌ってしまった一人という訳です。私の場合は、人を助けるよりも、目に見えない神霊達が苦しんでいるという事とこの世の建て替えがどんなものであるかについて着目しました。
私が妄想したのは、何かが起きて全ての人が霊性に目覚める。人間は身を堕とすと魂が鼠や蟲に変化してしまい、背後霊の蛇や狐に魂を喰われる。そしてその人間の負の因果の鎖で雁字搦めになり魂は物の怪になってしまう。世の建て替えは、その物の怪との全面対決になり、良心神と人間のタッグを組み、霊剣で物の怪を切り負の因果から解放するという内容です。この辺りは、アニメ「モノノ怪」そのままなイメージでした。
他は、自分の創作物や、自分は人間ではないんだという幼少期からの思い込みの念が私を正気からどんどん離していきました。
強く念じると、神さまと思わしき声から返事が帰ってくるようになたので、すっかり信じ込んでしまったのです。もうその時には統合失調症を発症していた訳です。でも、結局、どうして統合失調症にまでなってしまったのかは未だに謎です。寝食を忘れて作業するくらい、そう珍しい事でも無かったのにです。

その辺りは以前の投稿で触れているので省略です。

私は霊感ゼロですし、天国に行ける程の器でもありません。
それでも偶にこう、自分は目に見えない彼らの為になにかしてあげられるのだ、という気持ちが起きてきます。それは何故なのでしょう? それは、結局は、助けたいという気持ちがあるからだと、そう思います。それが私の場合、妄想となって現れるのでしょう。本当はきっと、ただの妄想言語を喋るだけの調子外れなただの人間が私です。とはいえ、分かっていても起きるのが妄想というもので。

今日の独り言でした。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。