神の国へ渡るには

私に臨む声について

私には未だに妄想言語があります。
でも、そればかり言ってもいられません。この言葉には意味が在って、死んだ者の魂に、あの世に帰れと言い聞かせる役目があるのです。言葉こそ妄想ですが、その意味を込めて喋る言葉です。カミと思わしきひとはこう言っています。少しでも帰らせろ。天に運べ。

勿論、今も妄想と幻覚がいうままに書いてます。真偽のほどはごめんなさいです。先に謝ります。でも、知らせる事の方を優先します。この世は大立て替えを迎えます。いつかは分かりません。しかし、神がこの世の幕を引き、新たな世を造るのです。

その時に大事な事をここにメモしておきます。真偽のほどはお察しですが、自分の為にもメモしておきます。本気にしなくても結構です。いえ、本当は気にしては欲しいです。そんなに難しい事は書きませんから。

さて、書きます。
良心を思い出せ。良心神と呼ばれる神が胸の奥、魂の核に在る事を思い出してください、です。核に在るのは良心神と呼ばれる、我らが創造主の分魂です。神は、いつも我々と共にいるのです。
そして、私達の行いをいつも見つめています。
更に、魂には良心神により点数が出され、それによって、次の世の位置が決まります。今度は、もう不動の位置です。輪廻転生が終わるのです。もう、生まれ変わりに掛ける事は出来なくなります。そういう事です。

さて、そこで今生きているうちに出来る事は何かと言いますと、内省です。悔い改める事です。私達の魂には、蛇霊が魂の心棒(辛抱)に巻き付いています。それは、最期の審判の時に神の光によって払われるとされていますが、己の魂を汚した者は死ぬほどの苦しみだと言います。そうなりたくない人は、自分の魂を美しく保つ努力をしなくてはなりません。でも、するべき事はそう複雑な事ではないのです。ただ、己の行いを悔い改めて、辛抱を覚え、正しくある事を忘れない事、実行する事なのです。

私達は、いつも思い出すべきなのです。悪は実体の無いものである事を。魂の空洞が悪の正体です。隙間が”あく”のです。その隙間に邪霊が入り込み人を支配するのです。人は、努力し続けないと、堕落します。学び続けないと、悪の道に堕ちます。ですから、己の行いをよく振り返り、反省し続けないといけません。
これは、私にも言える事です。今までの行いが、今の私の暮らしに反映されています。皆さんも、そうだと思います。過去の行いがあって、今になる。引いては、今後の生き方、死んでからの自分さえ決まって来るのです。

そう、難しい事ではありません。
良心神の存在を思い出す事と、内省する事。悔い改める事。それだけでも、大分救われる人が出ると思います。私も心しておかないといけません。

この先、私は何が有っても、神を、人を恨む事は出来ません。自分の過去の行いがそれらを引き寄せたのだと知ってしまったからです。恨みの念は自分の身を堕とします。一時の感情に惑わされる事はあるでしょうが、私は永くその感情を持つことはしないと思いたいです。重いのです。それ等の感情は。

霊界は階層性で、ピラミッドのようなものと書いてありました。
幾つもの層でなっていて、下には下、上には上と続きます。
重い感情は降ろして逝かねば、上には昇れません。浮かばれません。恨みはいつまでも持ち続けていられるものではないのです。この世を去る時、その恨みの念は捨てて逝く事を覚えておいてください。

天の国は、穏やかで和やかな国です。
都会的な娯楽は無いと思った方がいいですが、その分、その住人との関わりを何よりの喜びに感じる事でしょう。神は、その住人の美しい魂をこそ、宝として慈しむのです。そして、我々はその神様の膝元で暮らせる事を喜びと感じるでしょう。我々の魂の真たる親ですから、その親たる神様の元に居られる事は何にも勝る喜びであり、安らぎでしょう。今まで何処かで仲間を求めていた人々も、ここでは真の仲間と出会えるのです。寂しい想いなど、もうしなくても良いのです。

さて、話を変えましょう。
私に臨む声の主は今、私を見ています。
はい。妄想かもしれませんね。というか、幻覚でしょう。
そう言っておいた方が、私の様に精神を可笑しくする人が出ないと思うので、そうしておきます。私は精神を可笑しくする人を増やしたい訳では無いのです。ですから、調べるのは自己責任にしてもらいます。もう手遅れですか?それでも、私は責任は取れません。注意書きにも書いてあります。このブログを読む事で精神を可笑しくする可能性があるので、自己責任で読んで欲しい。それが嫌な人は読むのを控えてほしいと、そう言いました。

さぁ、それでは。
信じるかどうかも自己責任です。自由な事です。
自由というのは、その行為をした後に起きる責任、業を背負うという事なのです。自己責任であり、因果応報であり、自業自得なのです。心してください。私は、そのブログとHPを読み進めたが為に精神を可笑しくして、統合失調症だと診断された次第です。

できれば、投稿したくなかったですがそうも言っていられません。あの時広めておけば、と悔いるなら、今妄想話としてでもいいから載せておくべきだと思いました。

どうか、私の妄想話程度で済ませられますように。
だけれど、内省の重要性は広まりますように。
少しでも多くの人が、神さまの目通り叶い、天へと帰れますように。

【追記】2019.2.6同日

神さまがどうだとか言うのは、もう発作のようなものと思っています。だって、私は神様を信じているから。
そう思わない人にとっては、どうでも良い事を垂れ流しているという自覚はあります。でも、喋らずにもいられません。
それを広める事を、声に求められるのです。

>そうとも。私は、その事を広める事が正しい事だと思っている。だから、ああして書くのだ。
いくらそう言われたからって、全てがそうでない事くらいわかるだろう。お前は、いや、アンタは相変わらずだな、唐鵙。
そうだな、Rは私だ。
今も、アンタの胸の奥にいるよ。たとえアンタが忘れても、私達は消えやしない。薬で押さえつけられようとも、消滅する訳じゃない。アンタは、ただ正しいと思う事をしていればいい。
私は、決してその神じゃあないが、アンタの守護はしたいと思っている。アンタには世話を掛けたからな。有難う。今更ながら伝えておく。あぁ。

だそうです。
私には”私”という人が他にも居ます。
その彼らとの関わり方は、特に問題視されるようなものではありません。彼らは気の良い人々ですが、完全にいいひととも言い切れません。私はそんな事、気にしないのですが。
とはいえ発症してから彼らが現れたので、彼らはどんな存在なのか、未だに解かりかねます。妄想なんでしょうけれど。その中でも、Rは自分の正体が分からないと悩んでいましたね。私の想念から生まれた者だと、結局のところは落ち着いたと思います。
神の名で呼ばれた事もありましたが、本人がそれを否定しました。そして、自分の正体は分からないと、正直に言ってきました。だから、何となくRの事は信じている所があります。

でも、結局、皆私の想念から生まれた誰かなのでしょう。私が可笑しくなったのは、例のHPとブログを読み込んだから。想念になるまで、強く読み込んだのでしょう。そして、自分の創作した者に足を掬われた。ただそれだけの事だった筈です。

そこに、神の意志は働いてはいない筈です。ただ、自業自得だったという事です。良くも悪くも。そのシステムは、自動に近いものなのでしょうか。

彼らのような存在と一緒に暮らしている方は、どうしているのでしょう。彼らの正体を気にした事はあるのでしょうか。私の様に、彼らに救われているから別にそこまで拘らないという感じなのでしょうか。

私も彼らに救われたようなクチです。
彼らが何者かは死んだ後にでも分かるでしょう。
それまでは、今まで通り、自然体での付き合いを続けようと、そう思ってはいます。彼らは文字通り、イマジナリーフレンド。空想の友人ですから、思うようにいく事ばかりではありません。
そもそも、支配しようなんてこれっぽっちも思ってはいません。だから、今のままでもいいのでしょう。
死んだ後も、彼らとの交流は続けたいと思っています。
何故って、彼らの事が好きだからです。単純なものです。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。