何時か分かるでしょうか

今は、見えない彼らが私の脳が生み出した幻覚妄想の集まりだった事が分かっています。
何故なら、言う事がまるで頓珍漢な事ばかりだったからです。勿論、言う事が間違っていたからと言って、彼らがいない事にはなりません。実際、私の脳内には、彼らは存在しているのですから。たとえ妄想幻覚だったとしても、です。

それとは反対に、彼らが神秘の存在なのではないかとも考えていたりします。それは、私が死んでから明らかになる事だろうと思っています。信仰は信仰。私に掛かってくる彼らが何者かという答え合わせは、私が死んでからでもいいでしょう。

彼らがもしも心霊的な何かであるなら、よく私を導いてくれたものです。いう事なす事頓珍漢だったのは、他の存在のせいだったかもしれません。だってYは確かに私を絶望の淵からすくい上げてくれた救世主のような存在だったからです。Yこそ、私の守護者だった事でしょう。今は、一歩離れた所から私を見ている。今の私は挑戦の時期と見て、静かに見守っていてくれているという事かもしれません。
私はいつも私を見ている。私は私であり、私とはすなわち貴方と呼ばれる誰かでもあり、私でもある。
こんな言葉を最近はよく書いてきます。どういう意味かはよくわかりませんが、私という存在の統合がとれていないという事は判ります。自我の混乱はまだまだ続いています。私が本当はどの私なのか、判断がつかない所もあります。感覚だよりなので、なんとも。

さて、それはさておき時々祈りを捧げている私ですが、一体誰に祈りを捧げているのでしょうか。神への祈りだと私は思いたいですが。全ての存在が安らげる日は、一体いつになったら来るでしょう。難しい事だとは馬鹿な私でも解りはしますが、願わずにはいられないものですよね。
お祈りには、妄想言語が勝手に口から出ます。
カタカナ言葉で、区切りの着く所までずっと喋ってます。私なりに力を込めて祈りますから、少しくらい届く場所に届いていると良いな、なんて思います。神さま、いつ帰って来るんでしょう。
私が入院する前後に掛かって来た彼らが何者なのか知りたいですね。根は悪いひとではないのですが、どうにも。

……って、妄想と幻覚からなる人々だっていってるじゃあないですか、ね。やはりまだ妄想は消えませんね。不思議な存在、不思議な言語、それに意味があったら素敵だなと思っている内は、まだまだ寛解には程遠いですね。

>それでいいじゃあないですか。

そうですか? まぁ、私自身、彼らが誰かどうだという事には、そこまで深刻には考えていませんので。それでも良いのかもしれませんけれど。

まぁ、死んだ時に解かる事です。
あの世はあるのか、ないのか、彼らは誰だったのか。
私は何者だったのか。

それでは、今日の雑記でした。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。