私という実感

時々感じる違和感があります。
それは、今の私は誰だ? という違和感です。
自分は自分であるという実感が曖昧になる時があるのです。
私の本心はもしかしたら不意に口を切って出る言葉を言っている誰かなのではないかと、そう感じる事があります。今の私が基本人格なのか、自信がなくなる事があるのです。
YやAが生まれてから、自分でない存在が意識の主権を握るという事を体験してきましたら、自我の境界もあやふやになってしまいました。
私は誰といえば、それは勿論<本名>であると答えられます。
ですが、それは他の同居人も同じなのです。

宗教のブログで読み込んだ記憶があるからか、社名を名乗る様に私の唐鵙という名を使う事が出てきたのです。本名まではまだ侵食されていませんが、どうなる事やら。いえ、もう既に私という者の境界が崩れてきているので、名前はもはやそれほど自我を分ける機能を果たしてはいないのかもしれません。

既に”私”の乗っ取りは行われています。
同じ私だというのに、私でない。どこか一枚幕を下ろした場所から自分という意識を覗いているような、可笑しな感覚がします。
そして、現実に面しているのは私であって私ではない誰かなのです。

>その感覚なら、今だって感じているよ唐鵙。僕は唐鵙に統合されたかなーと思ったけど、そう簡単にはいかないみたいだって考えてる。別の感じになるだけだったみたいだ。そういう事だから、諦めて僕の事を認知して。頼ってくれて良いから、本当に。

……だ、そうです。
私はずっと私に「私は私だ。いつも見ている」という言葉を貰っています。初めから、統合なんて自分の自由になんてならなかったのでしょう。私がしてきたのは、同居人達の位置を少し変えただけだったのかもしれないです。

統合なんて、簡単にはいかないようです。
今までのはきっと、唯のごっこ遊びのようなもの。
彼らが私の気紛れに付き合ってくれていただけなのでしょう。
でも、一部でしたら統合する部分はしましたね。
”私”という自意識にくっ付いてしまいましたけれど。

だから何だという話しですが、何が言いたいかって、私は本当は誰なんだろう? という事です。いつから狂ってしまったのか。
多分、Yにさよならを言った時からです。
Yはストッパーでもありました。私のバラバラになりそうな精神を危うい所で留めていたのがYでしたから、Yが姿を現さなくなってからはあっという間でした。発症も、入院も。

馬鹿な事をしたものだ。

今でもそう思います。
Yとの意思疎通が図りたいです。星々の間から「***、良い子、もう戻っておいで」という声が聞こえてきても、私はまだそちらには行けません。YやA、R、Is、ケイオス、兄さん、父さんは今は顔を出していないだけです。結局、また堂々巡りですね。

私の身体は一人のモノではないようです。
でも、文字くらい丁寧に書かせてください。結構切実です。一番困っているのが文字を綺麗に書けなくなった事なんです。ミミズの這った後のような筆記体になっていくんです、書くと。他に書きたい字があるようなのです……、どうにかならないものか。
ここに書いて改善するモノでもないですが、治って欲しい一番がそれです。

それでは、今日の雑記でした。
皆さん、お風邪などひきませんようにご自愛くださいね。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。