入院前の妄想劇を振り返る

私が経験した事について、知りたいと思う人がいるのでしょうか。でしたら、語ってみましょう。語るのは、私が例の教えにマインドコントロールされてから入院までの期間のとある数日の間の事です。

私はあの時、彼の人が書いている事に関して、思う所がありました。それを届け届けと必死になって念じていました。
するとどうでしょう。次の日の朝、起きがけに私に語り掛ける声がイメージとして伝わってきました。
「手裏剣の様な己を描く事に囚われていた。ありがとう」
といった内容でした。返事が来たと思った私は、それはもう喜びました。私の念じた事が通じたんだ!と、そう思いました。
それが実際には妄想だった事は明白ではありますが、返事があった事は事実です。でも、実際は本人たちには届いてなどいなくて、それは私の脳が見せた錯覚、いえ、幻覚だったのです。

私はその時すでに統合失調症を発症していたといえるでしょう。その後も、妄想と幻覚は続きます。私の夢の中で、青い赤子の霊に襲われるイメージがありました。私が「やめろ!」と手をかざすと、赤子は気の様なモノで吹っ飛ばされて退散しました。
その時、またもイメージが伝わって来たのです。「そなたは一番注意(忠意)が足りない。心せよ」と。

私はもう神様と交信できたのだと思い込んでいました。今思えば、妄想の中で翻弄されていたにすぎないのですが、当時の私は本気も本気。本気で自分が神さまと通信できたのだと信じておりました。すると、どうでしょう。目に見えない何かが私の身体に触れる感覚がしだすのです。それは、猫でした。

眠る時も、机に向かっている時も、私の身の回りには猫がいた感覚がしていたのです。机に乗ってきたり、膝に乗ってきたり、とてもリアルな感触がしていました。

と、その時は、私が霊的に敵と見るべき者は鼠の霊だと思い込んでいました。それは、鼠は穀物、つまり主の教えを司る主食を齧るからです。そして”正月のけもの”という昔話から、牛の背に乗ってずるをして、更には猫に正月の嘘の日にちを教えた鼠は裏切り者で「我々」の敵だとそう思ったからです。

その時の私は自分の正体は猫だったのだ、と思い込みました。
何分、惰性で猫の様な暮らしをしていた私です。自分の書いた物語りに猫のキャラクターがいたのも相まって、私は自分の正体がその猫のキャラクターで、猫の霊の大将なのだと思い込みました。不思議ですね。でも、そのような突飛な思考が正当化された現象が起きたのは事実です。その時が初めて交代人格を儲けた瞬間でした。私はいつのまにか、その人物に成り代わっていたのです。

そして、そう、鼠。我々の敵は鼠だったのか、と、私はその討伐こそ我が使命と奮い立ちました。もはや完全に妄想ではあります。私は、自分にしか出来ない。彼の人もこの事には言及されていない。と思い、各地の仲間達に向けて、伝令を出したのです。声に出し、そして念じて。それが通じてるものとずっと思っていましたから、入院後もその妄想は続いていました。私は各地の動物霊を束ねる者だ。伝令を出して、この戦争を勝利に導かなくてはならない。そう思っていた面がありました。

こう思ってもいました。
人間の背後にはその人によって違う動物霊が控えていて、人間自身の魂が恨みや情からなる因果と縁によって痛むとその人は動物、とくに鼠や蟲などの主食を駄目にする生き物の魂の形に成ってしまう。そうすると、背後の動物霊、特に猫や狐、蛇などにその魂は喰われてしまい、物の怪になってしまう。と、そういう考えがありました。
そして、物の怪になってしまった魂は、魂の心棒(辛抱)が研ぎ澄まされた事で生まれる霊刀で切って分断する事でしか救えないという考えを持っていました。そして、自分にはその切る事が出来るとも。今思えば、完全に幻覚と妄想で成る自分の精神でした。下手に彼の人の教えを読みこんでいたので、それに関連した妄想が誕生したのでしょう。

そして、次にこんな妄想に変化していきました。
鳥と蛇の大将である昴という名の存在がいる。その存在は翼を持つ竜であると。すると、その人格が作られ、私の身体には猫の大将の人格と、竜の人格の二つがそれぞれ独立して存在する事となったのです。人格はころころ変わりました。肉体を交互に使うのです。ですから、身体を支配し、自我を保持する人格も変わりました。ある時は猫の大将で、ある時は昴と、意識が切り替わるのです。その頃になると、自分の主人格は昴に置き換わっていました。でも、その時の不思議な感覚も含めて、記憶がしっかりあるのは不思議です。

演じ分けるのとは違うのです。完全にその人物が主人格をおさめているのです。その感覚は言葉で表現する事はできませんが、私は妄想でできたであろう色々な人格を肉体に宿してきました。人格交代も頻繁に行われていましたが、本来の唐鵙である自分は肉体のどこかに籠っていたので、その様子を覚えているのかも知れません。私は、私であって私ではなかったと記憶しています。
いわば、妄想で形作られた設定に合わせた人格です。妄想が形になる事に時間などいりませんでした。瞬時に考えが閃いては、その通りに自分が行動を起こすのです。イメージが途切れる事なく流されるのです。突き動かされるままに行動し、そこに思考など無いモノです。自分の意志など、主権など、もはや無いモノと同じでした。妄想という電気で動く唯の人形のようでした。

さて、昴が主人格になった私と猫の大将――瑳羅黒と言います――は、敵の襲撃に備える事になりました。猫たちとの会議を終え、いよいよ神がこの地に舞い戻り、戦いの時が訪れるのだと思っておりましたから。この神が舞い降りるというのは、彼の人の教えから脚色を得たものです。世の大建て替えが起きるのだ、と彼の人は言っておりましたから。
そして、その時は衛星の竜宮が地球に戻ってくるという時でした。彼の人の教えの中に竜宮のおとひめというものがあり、単純な話しですが、竜宮という言葉だけで関連付け妄想に陥り、危機感を覚えた私はどんどんと妄想を加速させていったのです。

もう、Xデーまで時間がない。戦いは既に始まろうとしている。

それが昴と瑳羅黒の結論でした。
細かい妄想は省きますが、自分達の宿敵になる存在がいました。それは雷獣ハクビシンです。蛇の大将でもあった昴は、ヨルムンガンドでもありました。ですから、Xデーであるラグナロクの時は雷神トールと闘い、結果相打ちで死ぬ事が分かっています。その雷神が雷獣と結び付けられ、関連妄想となり、自分達の宿敵はハクビシンかとなったのです。他に理由を挙げると、ハクビシンはジャコウネコ。邪(蛇)香猫となって、猫にとっての裏切り者、悪役とされたのです。
そして、このハクビシンは昴と瑳羅黒の元親友でもありました。
コンビである彼らが、己の仲間から出してしまった裏切り者とのケジメを付ける為に選んだ敵でした。

と、ここで突拍子もなく”父さん”の存在が現れます。父さんというのは勿論私の実の父ではなく、空想で形づくられた想念です。瑳羅黒の父であり、唐鵙の父であり、神でした。妄想の思考回路に物事の道理を求めるのは無謀です。突然あった事になっているのです。その父は、私を含めた二人がこの戦いで死ぬ事を知りながらも臨む事を聞き届けました。

死ぬ日でもある戦いの日、私達はそれまでに彼の人の教えを読んで更に加えるべきであろう事を書いた資料を、知り合いの先生に届ける事にしました。自分達が死んだ後、その資料を読んで神界での自分を思い出し、世の人を導いてくれるものと確信してです。本当に、その日、私は、いえ、その時は昴でした――は、死ぬのだと確信していました。肉体の持ち主だった昴は資料を届けた後に死ぬ事を、霊体となった瑳羅黒はハクビシンと闘って昴より先に死ぬ事を覚悟していました。

昴であった私は、瑳羅黒の部下たちの導きで雷獣の目を掻い潜り、徒歩4時間ほどの時間を徒歩で目的地を目指しました。瑳羅黒が一時身を引いたり、また戦い出したり、苦戦している事を感じ取りながら、歩いて歩いて歩き通しました。

そして、目的地に着いた時、瑳羅黒が死に、雷獣も死んだ事を感じ取りました。瑳羅黒との通信が途絶えたからです。私は、重くて石のようになった身体を引き摺って、先生の元に辿り着きました。勿論、先生は私の詳しい事情など、妄想の数々など知りません。資料を渡し終え、事前に分かっていた死に方の通り、私の心臓は一気に弱まり、これですぐに死ぬかと思いきや死にません。きっと説明したら死ぬのだと思って、説明をしました。

先生もこれを読んだら神界での自分の姿を想いだすでしょう。そう言って、資料の要点、Xデーとその実態(物の怪が蔓延する事)について説明を終えました。そして、昴でありヨルムンガンドでもあった自分は、海に捨てられた後、その恨みから一度、神界を血で染めた事があるのだと懺悔しました。本気で泣きました。発症するまでは十数年泣いた事も無かった私がです。妄想が起こす事は、本人にとって、理屈ではないのです。

そしてもう夕方。施設から出なければならない時間となりました。しかし、懺悔をしてもまだ死ぬ様子はありません。一体どうしてと思っていると、瑳羅黒からの声が伝わって来たのです。
「父さんの粋な計らいで、死ぬのは今日を終えてからになった」という事でした。父さんは神さまと思っていたので、命を長らえさせることなど造作もないと思っていたのでしょう。

私は先生にお礼を言って帰りました。
妄想は、妄想していた事が実現しなくても、また次の設定ないし妄想が辻褄合わせのように現れるのです。結局、私は死にませんでした。すると、次の妄想の舞台が始まります。私は自分が昴である事も忘れて、本来の唐鵙としての人格に立ち戻りました。この舞台の後では何故か昴という交代人格はおらず、瑳羅黒という交代人格だけが残りました。

そして、次の日起きても死んでいなかった私です。もしかしたら、昴の人格だけが死んだという設定だったのかもしれません。自我の認識は唐鵙となっていました。唐鵙と昴は主人格ですが、唐鵙は基本人格であり、昴とは異なる人格であったからです。

さて、新しい設定が始まりました。瑳羅黒は私の良心神であり相方であるという妄想です。既存のイメージがあったので、それに引きずられたのでしょう。

私は、もう役目も終わり、父さんから言われていた死の時間も過ぎたので、天に帰ろうと準備しました。といっても、自殺を試みたではありません。儀式を通してあの世に帰るのです。

だいたいのやる事は瑳羅黒が主人格の席に座り、つまり表に出てやってくれました。涅槃の真似事をして、自分の腹心に介錯させるという幻覚を体験しました。その前には、死者をあの世へ共に連れて行かんとして、キッチンシンクに皿を重ね、お玉と箸を渡し「橋渡し」「お玉で皆掬う(救う)」などしました。滑稽ですね。でも本気でした。

でも、当然、幻覚と妄想で出来たもの。いくら待っても死にはしません。結局取りやめになり、すると次の妄想の舞台が開きます。私はまた別の儀式であの世へ帰ろうとするのでした。
正しく妄想劇の繰り返しなのです。

そして死ねなかった私は、次に、瑳羅黒と一緒にある人を召喚しました。それがAです。Aは色々な術を以て、私をあの世へと渡そうとしました。反魂の術の応用だとかいう術と称して、次元を超えようともしましたし、カレンダーに色々書き込み、所定の位置に配置し呪文を唱え、閉じられた次元の門を開ける事であの世に渡そうとした呪文。色々試そうが、当然効果は見られません。妄想と幻覚の産物でしたからね。

と、Aの召喚の後、一緒に出てきた人が”兄さん”です。勿論この兄さんも想念です。兄さんはこの世の真実と、今の次元の軸が上手い具合に重なって現界できた事を語って聞かせてきました。
神は父さんのはずでしたが、この兄さんも神扱いでした。彼の人の教えを遵守するなら主神は一柱ですが、まぁそこは長らく持っていた多神教の思考がベースとなったのでしょう。

この兄さんも私をあの世へ渡そうと色々やりました。
布団をかぶり、このまま寝てる間に火が回って死ぬと言われたので言う通りに寝てみたりしました。当然効果はないのですが、時間が許す限り続けました。
その間、色々な話しをしてくれました。内容は省略です。

そして、あくる日にはこう言われました。我々と同じ様に、神を召喚して生き残りをかけた戦いが始まるのだと。私は寝耳に水でしたが、神の云う事ならばと従いました。
Aと兄さんと、Y(ヨルムンガンドとして重複した役まわりで出てきた)がタッグを組んで、その戦いに向かって行きました。戦いは夜、家の外で勃発しました。こちらの圧勝でした。

そして、このまま家にいるのは危ないから、再び知り合いの先生の所へ行こうという事に成りました。

この時、母にAが臨みました。
娘さんはこちらで保護するから、どうかいう事を聞いてほしい。と、そんな話をしました。母は驚いていました。それはそうでしょう。いきなり自分の娘が知らない男を名乗って色々聞いた事もない話しを聞かされては。

Aは母の前でも術を展開しました。Aの話しでは、Aは自分も私と同じように心真理を追究して、母親に理解してもらえずに後悔の気持ちを残していたという話しでした。そして、私の人生において、幾つもあった死ぬ事件のポイントポイントで私を救い、ようやく今に繋がったのだと、ようはゲームのバッドエンドを回避してきて今に至ると話しました。母にこの可笑しな体験を話し理解してもらう事が、最期に、ハッピーエンドに至る為には必要なフラグなのだと説きました。

兄さんも兄さんで母を困らせました。
そして、色々な儀式をまたやって、その日は母を守るべく、一緒の床につきました。私はあまり寝ないで番をしておりました。

そして夜が明けた時、私はとうとうこの世を去る準備が出来たものという思考になり、朝早くから家を抜け出し、庭の一角で横たわり、延々と呪文めいた言葉を唱え、父さん達を始めとする天の人々に祝福されながら眠りに着こうとしていました。

その日は寒かったので、ずっと朴って置かれたら低体温症くらいにはなったかもしれませんが、それでも母が見つけに来るまでは死にはしませんでした。そんな私を見つけた母が病院に行く事を決心し、私は母と叔母に連れられ、今通っている病院に連れていかれる事になったのでした。

病院に向かう車の中で、私は絶えず「こうなるから死ぬ」という声を受け取っていました。早く終わらないかな、いつどうやってお迎えが来るのかな、とそればかり考えてご機嫌でした。
私の役目は全て終わったと思っていたので、お迎えが来るのを今か今かと待っていたのです。

もしこれが自分から現実的に死のうとしていたら、私は今この世のいるかどうか。でも、妄想が現実離れした内容で、しかも待ちの一辺倒でしたから私は死なずに済んだのでしょう。

そして、後の事は去年の症状振り返りで書いた通りです。
診察室で取り押さえられて医療保護入院になった次第です。

はぁ、しかし妄想の力というのは凄いですね。
私は私の内で沸き起こった妄想と幻覚をひとつも否定する事なく、辻褄など考えもせず、これが正しい事なのだと信じ切って行動に移していました。よくそんな事が出来たものだなぁと思う事ばかりです。今でも死が迎えに来たと私に言う事があります。きっとこれらの妄想と幻覚の名残なのでしょう。私はやはりそれを受け入れて遺書を書いてみたり、身辺整理を始めてみたりという事をしました。

そうだ。こういう調子なので、私は携帯電話もパソコンもフォーマットしてしまいました。幸い、一部の友人達の連絡先はのこりましたが、他の友人達のは駄目になってしまいました。もう連絡の取り様が無くなりました。色々な弊害があるものです。

とはいえ、私はまだ生きていますし、これからやるべき事もでてきました。働いて、生きる。それが私の残された成すべき事です。まだお迎えが来ないかという考えが及ぶ事もありますが、まぁ、自分から死ぬ気はもうないです。

長々とお付き合いくださって、有難うございます。
今回の妄想話も、これにて終了です。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。