好い加減が知りたい

専門学校に通っていた頃、私という人は、いつもネガティブな事ばかり考えて過ごしていました。その中では、勿論死にたいという気持ちもありました。でも、今ではそれはありません。何故でしょう。

それは、私の中にいるY達がこうして説得してくれたからでした。
今死んだって、何も良い事はない。だから、まだ生きていて。
勿論、いつ死んだって、自死では何も良い事はないです。
生きましょう。最期まで。

で、どう説得されたかですが、こんな事を言われました。

辛いなら、いくらでも言って構わない。でも、まだ死んじゃ駄目だから。嫌なら逃げたっていい。でも、死んだら駄目。

私は何度も辛い気持ちを文面にして吐き出しました。
それをどこに持って行ってくれたのかは分かりませんが、そう言うと、少しは楽な気持ちに成りました。正直、逃げて逃げての日々でした。現実から目を背けてばかりの過去でしたが、そうしていたって、ちゃんと生きているから今があります。
この世では、結局の所、生きたもの勝ちです。どんなに今が
しんどくても、生きていれば、何とでも言えます。何処にだって行けます。なんだって、とは言いませんが、色々な事が出来ます。好きな本だって見れますし、好きな音楽だって聞いていられます。それすらも現実逃避な私ですが、それでもできます、色々。

逃げたって良いじゃないですか。
そんなに辛いなら、逃げ出したって良いじゃないですか。
私は、逃げてきました。その結果が今ですが、それでも、今が一番楽ですし、楽です。それなりにやる事があって、それなりに日々を送って、それなりに趣味の事をやって。

いい加減な事しか言ってませんよ。注意です。
でも、結局、自分には向いていない道でした。早めに逃げてしまえばよかったあなぁと、今振り返ると思います。でも、その結果あっての自己理解に繋がっているので、何とも言えません。

さて、話を変えましょう。
もう少し、いい加減な話しにします。

私は時々、いい加減な人間に成りたかったなぁと思う事があります。どうにも頭が固くて、融通が利かないのが私です。真面目が過ぎると、母にも言われました。といっても、この性質はどちらの親戚にも伝わって来た遺伝ですので、私にとっては逃れようがありませんでした。皆の固い性質を引き継いで生まれたのが私です。理想主義で、人間不信。自己を切り離すストレスコーピング。HSPやらなんやら。頭がこんこんちきになる要素ばかり引き継ぎました。

その結果、こうしてめでたく統合失調症ですね。
いい加減、いい加減ってどうしたらいいのでしょう。
私としては、適当な事を書き散らせばいいのかなぁと思いますが、そういう訳ではないのでしょうか。それは、無意味に、徒然に書くというだけで、いや、もうやめましょう。

いい加減な人は、もっと好い加減を知っているのでしょう。楽な生き方を知っているのでしょう。いいなぁ、と思わなくもないですが、成りたいかと言われると、そんな事はありません。

はい、面倒な自分だからこそ、こうして自己愛が強く成りました。本当は、いえ、本当も何も、自分の事が、私は好きです。何だかんだ面倒な自分ですが、やっぱり、自分の事が好きです。

そんなこんなでいい加減な所で切ります。
いつも、有難うございます。それでは。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。