今年の症状振り返り

今年の症状の推移を振り返ってみる。

まず、入院時。
バリバリに憑依体験が出ていた。
”父さん”のいう事を本気で実行しようと考えていた。
始めは、恐ろしい事に、診察室に患者がいるから窓から突き落とせ、そして走って後を追えといった内容だった。しかし、部屋の構造上、出来ず、また、普通に引き留められたので決行はしなかった。というか、出来なかった。
すると指示が変化して、私の事を伝えろという事になった。
「我が名は愛染明王、この世の全ての悪を敷く者である」と言えと言われ、その通りにして道路に飛び出して行こうとしたので医療者に組み付かれて未遂に終わる。
そして、その後、”父さん”が入院を認めたので、私もそれにならい入院を承諾。晴れて医療保護入院と相成った。

そして次に待っていたのは沢山の頭内の同居人たちとの出会い。彼らはいつも私の元に現れては何かを告げて去っていく。その時はノートを所持していたので、書いて書いて書き連ねていた。筆談でのやり取りがメインであった。
今でもこうして自動書記もどきとして、出てくる事もある。そして、私達は唐鵙と向き合い、徐々にその自我に入り込み、統合されていった。とはいえ、そうなったのは退院して数カ月も経った頃の事。長い時間を要した。

あと、いや、離人症というのか、現実感喪失症というのか。
自分という存在が違うモノに思えて、自己から意識が離れるのだ。過去と今の自分が繋がらずに、なぜ今ここに居るのか可笑しな感覚に襲われる。これは、ずっと前から存在していたと思う。

次に、作為体験。これは入院前からあった。
涅槃を真似た事をやらされたり、魂が迷子にならない様に、天へと送る儀式もさせられた。本気でそれで良い物だと思い込んでいた。今でも、”祈り”という名目の儀式を始める事もある。それは、自分でやる事でもあったし、誰かが始めるモノでもあった。救いを求めている誰かが言わせるものだと今は思い込んでいる。まだ、寛解には程遠い。作為体験がある以上、複数の私は消えず、また、障碍者としての自分も続く事だろう。

そして、恍惚。
神に話が届いたと思われる事が入院前にあった。
私はただ、その宗教が広まればいいという想いでブログを書いていた。今でも、この為に、人の為にと思ってブログを続けている所もある。本題は、自分の症状の記録ではあるが、誰かが続けようというのでまだ続けるという所もある。
そして、私は未だに自分の胸の中には神様がいるものとマインドコントロールされたままだ。それがどう転ぶかは、来年に区切りの時があるので、そこを境にどうなるか。
神が私を宿るモノとしているのだと思い込んでいる、今も。

さて、次だ。
これは、未だに認めたくはない。
しかし、しょうがない。記録は記録だ。
幻覚・妄想。全ては病気が見せた幻で、本当は、頭の中の同居人も、作為体験も、何もかもが幻覚であり妄想であるという事だ。神はいるかという事も妄想。同居人たちも妄想と幻覚。作為体験もただの自我機能の障害。
むしろ、私は障碍者ではなく、ただ頭の中に同居人がいて、神さまを信仰している、そしてちょっと身体の自由が利かないだけの一般人という考え。これもまた妄想だろうか。
妄想と幻覚は私を支配しているだろうか。
病識についてはないかもしれない。もしかしたら。

さて、次。感情が乏しいのは元々、入院する前から鬱っぽい感じの人間だったので、病気のせいかは分からない。意欲の障害。これも同じく。よく考えてみると、これだけの症状があるのだなぁという気にさせられるね、唐鵙。

でも、私は病気ではないのではないか?と未だに思う。
これこそが病識の障害なのだろうが、でも、いつまでこの状態が続くかは分からない。だから記録するのだけれど。
只今、障碍者手帳は2級。先生は私を何時まで障碍者とするだろう。分からないが、動ける今のうちに働く事を一段ずつ上げていかなくては。ライフプランは未定が過ぎるが、一応はあるにはある。なんとか、健常者に近づけたい思いがある。

それと、大事な事を忘れる所だった。
神さまは皆の心の中にいるという事を書かねば。
私は、そうしろと言われたからこのブログを始めたのだ。

>私の嵌った宗教にそういう教えが在るのです。そこでは、良心が必要なのです。聞く所によると、もう判決は出来てしまったらしいのですが、それでも、これから訪れる困難の中でも、天を目指すべく、良心に乗っ取った行動をする事が求められています。だそうです。これが皆に広まれば、いいのかな?私はその宗教誌を読んでこうなりました。
だから、科学的な事で説明がつくのか分かりません。
本当に神様がいて、私はその神秘に触れてしまったからこそ頭を可笑しくしたのだと、半ば本気で考えています。
だって、それ以外に理由がないのです。
いえ、そうなる前から、統合失調症の気はありました。だから、……いえ、それ以外にも可笑しい事が沢山ありました。
本気で霊的な世界のせいだと考えている面もまだどこかにあります。だって、それが無かったら、私は頭を可笑しくする事はなかったでしょうから。神さま、貴方は私に何をさせたいのですか?

あの世の就職試験だといって、私を試したり、報われないマモノ達の地位向上を願わされたり。そして、沢山の魂達と出会わされたり。色々です。それに忘れる筈がありません。”兄さん”に強いた事、あれは一体何の意味が在ってそうさせたのですか?そうさせたのが、今の神々で在る事は知っています。戻ってくる神は、そんな事、させないでしょう。あんな事などは。私も迷惑を被りました。

とにかく、今年は入院もしたし、退院もしました。
短い期間の中で、沢山の症状が生じては散って行きました。
沢山の存在と出会いました。彼らはいつもいつも私の事を案じてくれました。そして、私は私としての行動を始めて、一歩一歩少しずつですが進んでいます。
ライフプランは、ええ、ズレましたが。
それもしょうがない事と受け止めて、歩いていきませんとね。まだ諦めの悪い部分は嫌だとごねますけど、これ以上早くは歩けません。物事には順序があるのだと、その者には諦めて貰えたら、楽なんですけれどね。

そして、新たな症状も現れてきています。
これも自我機能の障害ですね。あまりにも早く統合を進めていったからか、自我が定着していません。幾つも、”私”が存在しているような感覚に襲われます。外側にも私がいて、私を動かしている。そして、内側にも私がいて、本音の言葉を吐き出している。最近はそんな感じの症状に悩まされています。

そして偶にくる、死の宣告。
私は死ぬのだと、そういう声がよく届けれられます。
まだ死なないようなのですが、それでも来ますね。
何故かは、まぁ私にはよく解りません。私には。

色々な症状があるものだなぁ、なんて。
結局、まだまだ症状も落ち着いていないんだと考えさせられました。こんなでも、作業所では働けるので、有難いです。採用されたらですけれど。決まると良いな、仕事先。

これで、今年の振り返りは一段落ですね。
それでは、また。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。