私と人格たちの場合

こんにちは、テレビで解離性同一性障害の事が紹介されていましたね。私も彼、彼女らの事を見て色々思う所がありました。母と一緒に視聴して、私と似てる所や異なる所を話し合いました。

そして思いました。私は離人症や解離の症状こそありますが、解離性同一性障害とは異なる種類の人格の寄せ合わせなのだと。やはり統合失調症の、自我機能の障害あっての彼らなのだと思います。

なにかと言いますと、まず、私の交代人格達はどれもリアルな何歳という括りの無い人格です。それに、その誰もが人間ではありません。なぜそうなったかというと、人間への不信感が元で生まれた人格達だったからです。解離を起こした切欠も、私の場合は幼い頃に遭った犯罪被害からの事です。あの時からです。私が離人症になり、人格が剥離していったのは。

あとはそうですね、私の場合は交代人格というよりもIF(イマジナリーフレンド)やIC(イマジナリーコンパニオン)といった自己救済人格としての局面が色濃く表れていたと思います。

人格が切り替わるという事ではなくて、初代遊戯王の、主人公ともう一人の人格とのやり取りがそれに近いでしょうか。もう一人の僕って感じです。
出所は不明な人格もいますが、概ね私の自我から分かたれた存在であるという認識です。

彼らとの関係も、あくまで私がコントロール席に座り、生きるのも私がメインです。彼らが日常的に出てくる事はあまりありませんし、出てくる方法も補助席に座る様な形です。私の場合の脳内イメージは、ロボットの操縦席のようでした。急性期の時のイメージでしたが、心身の各部位別に対応する操縦席があって、パソコンが据え置かれているイメージです。彼らはそこに座り、一緒に身体を動かしていました。今では自己の外側に出てきて、何か意見したり、私に対してアクションを起こすというイメージです。遊戯王の”もう一人の僕”みたいな感じですね。

私に解離性健忘の症状はありません。私の記憶を彼らは参照できます。でも、彼らの事を私はあまり知らないので、彼らには彼らの記憶があるのでしょうか。その辺りは知らなくてもやっていけるので、基本的に放置です。私との付き合いはより長いものとしたがる傾向はありますが、確証は取れないので、そこもノータッチにしています。

急性期には人格の交代もありましたけれど、治療が進んだ今ではそれも無くなりました。これも服薬治療の玉物といった所でしょう。ただ、私の身体を勝手に操作する事は今でも起こります。文字を書く作業や、部屋での過ごし方などはよく彼らの影響を受けて身体が動き出します。よくある事では、腕が勝手に文字を書き出したりします。このブログなどがいい例です。自動書記のように、勝手に文字を打つ事がよくあります。ですので、退院して以降は、大体パソコンがコミュニケーションツールになっています。直接声に出して脳内談義に興じる事もありますが。

こう振り返ってみると、解離性同一性障害と統合失調症の自我機能障害での交代人格はすこし勝手が違うのかな?と思わされました。
勿論、個人によって症状などはまったく違ったりしているでしょうから、何とも言えませんが。

なにはともあれ、少しでも当事者への理解が深まり、広がっていくといいですよね。人間、もはや、一人に一つの人格だけなんて事が常識外れなのかもしれませんから。少なくとも、私はそう思っています。分からない様になっているだけで、人間を形作るのは複数の人格なのだと。

それでは、ここまでで。
さようなら。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。