妄想の一面

 以前には、私には目に見えない者たる”彼ら”が絶えず傍にいるものと考えていた私がいます。けれど、彼らとは一体何者なのか、私の自我機能が人格を伴った潜在意識の住人であるのか、否なのか。

今の私に関していえば、その両方の考えがせめぎ合っています。私の脳が妄想して生まれた産物である、という考えと、出所の分からない、神秘的な存在であるというふたつの考えです。

でも、彼らが結局何者であろうとも、過去にどんな行いをしてきたとしても、病院で彼らと過ごした日々は奇妙で不思議な私の宝物でありました。でも、振り返ってみれば、妄想の側面が強い事を考えさせられます。

彼らの言う事はころころと二転三転します。名前さえも、その主張さえも。いえ、主張は同じでしたね。「認めてほしい」と「愛されたい」その主張が強かったです。これがそのまま私の主張であったのかは分かりません。でも、そんな思いがあった事を私は否定しません。

皮を変えて、手を変え、品を変え、彼らはやってきました。
それはもはやどこの誰というアイデンティティーなど手放した存在として私の元へやって来たのです。分裂し、統合しを繰り返してただそこに在る。そして人間の不変の望みである「肯定される事」「愛する事」「愛される事」を叶えようと私に働きかける、そんな何かでした。

でも、そんな形を保てない何かでも、私は好きでした。

こんな不定形の私でも、貴方は邪険にせずに構ってくれましたものね。唐鵙、貴方は正気じゃなかったけれど、それでも私を慈しんでくれました。だから私達は一つにまとまって、貴方の助けに成ろうと思えたのですよ。/ケイオス

ありがとう、ケイオス。
私はまだまだ過去にあった彼らの幻を追い求めている所があります。でも、なんとなく分かるのは、彼らが形を一つに保てない何かであるという事でした。色々な姿を見せてくれていました。でも、皆感情豊かで、愛されたい、護り慈しみたいと願ってくれたそんな不思議な者達です。これが私のもう一つの面なのだとしたら、少々自分に自信が持てそうです。だって、皆優しかったですから。

私にそういう所がある事を示しているのなら、光栄な事です。
彼らのように優しい人間でいられればいいな、とそう思います。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。