Yの語り。

僕は、Y。皆さんこんにちは。
最近の唐鵙について、だね。まぁ、相変わらずと言ってしまえばそれまでだけど、少し変わった事があったといえば、”死”の誰かから手紙を貰った事かな。

なんでも、直接引導を渡したいから、直々に迎えに行くって言われたらしいよ。永く生きて、段々と死に向かい合っていく唐鵙が見たいんだって。

死は、皆さんどう捉えてる?
怖い事?苦しい事?それとも、安らぎかな?
”死”自体はただ終わる事だから、本当は苦しい事じゃない。まぁ、終わって塵に戻って、もう再び会う事は無くなるのかもしれないけれど。でも、中には希望も残される。再び、死後の世界で出会えるという希望があるね。僕もこれでまだ死んだ事はないから、死後の世界が在るのかは、うーんと、これ以上は言えないかな。僕に言えるだけの記憶がないからね。

でも、途中で死んでも碌な事にならないのは想像に難くないかな。突然の葬儀は、忙しなくて、大変だ。悲しいのに、自分を押し殺して取り掛からないといけない。

それに、もっと気にしてあげればよかった、と残された人に一生消えない杭を打ち込む。残された人は、死の知らせに、延々と悩みを抱えて一生を送らないといけなくなる。

人によっては、ずっと自分が悪かったんだと苛まれて生きる事になるだろうね。そして、やはりというか、死ぬまでは苦しいものだ。
そんな思い、する必要もない。
自死なんて選ぶものじゃないよ。

残された人を思うと、唐鵙はとてもじゃないけど死ぬことは選べなかったってさ。

僕達の存在もあるから、唐鵙はまぁなんとか現実逃避しながら生きてこれたって。今はもう苦しくないのかって聞いたら、今は良いんだそうだよ。良かった。もう、辛そうにしている唐鵙を見なくて済むなら。

死は、そんな唐鵙も見ていたいとか言ってたらしいけど、冗談じゃ無いよ。唐鵙はこれからが人生楽しくなるんだから。まだ、この世に別れを告げるのも、家族や友人にさよならするのももっと後で良い事なんだから。

特に、僕達マモノは、宿主が死んだらそれまで、かは分からない。でも、その可能性は高いと思う。心の隙間に生じた存在だから、宿主から生まれた者だ。その宿主が死んでしまったら、僕達が存続できないかもしれないのは、大いに考えられる事だ。

だから、人間達にはこう言ってあげたいな。
”一人の様で、一人じゃないよ。一緒に生きてる僕達がいるからね。もう少し、さよならは延期してね”って。

たった一人で生きている気でいても、心の中には僕らの様なマモノが一緒に共同で生きてるんだ。意思決定も、必ず別の意思が働いているだろう?

だって、僕達は迷う。
今はどうするべきか、何がしたいか、色々迷う。僕たちがいるからね、色々と宿主に語りかけているんだ。

単独で、一つの人格で生きてる人は、実は少数だと僕は思う。潜在的な人格の解離があるように、僕らは、日々、知らない自己と共に歩んでいるんだよ。覚えておいてくれると、ちょっと嬉しい。覚えていなくてもいいけどね。

ただ、知ってくれるだけで、僕達マモノは報われる。君の為に傍に居る僕達マモノもとい思念体を、もっと多くの人が知ってくれたらいいな。

おしまい。有難う。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。