灯火の話し

今回も、またもや入院中の話しです。
妄想話は限りがありませんね。でも、その時の私にとっては事実でしたし、今でも貴重な記憶です。思い出すほどに輝いて見えるのは、思い出話特有、ではないでしょうか。

さて、入院生活80日の内の半ば頃でしょうか。その頃になると、私は自らが魂の中心に火が着いていると思いだすようになりました。
その火は、神からの授かりものと思っていました。そして、この火が着いた者は、他の人間の道しるべとして、神の教えを広める使命を担うという妄想に憑りつかれました。

狐ならば尾に火。蝋燭ならば写し火として。私は、白い竜が己の魂の一つと思っていました。ですので、人に火を移すなり、周囲の雑念を焼き払ったりする事をしていました。誰に言われたかは、分かりかねます。あ、Aでした。

今思うとどうだったのやら、という話しですね。
でも、当時は大真面目で自分の仕事は周囲の人への火付け役だと思い込んでいましたね。それが、周囲もやり始めたので、余計にそう思い込んだのでしょう。私は誰も見てないと思っていましたが、いつの間にやら広まっていました。

そして、病院内は誰かが変わった事をやると、途端に真似をしだして広まります。まぁ、ある意味で、仕事完了でしたね。皆、火を付けられたように真似しだしたので。

今ならそれが誇大妄想の類であると分かるのですが、当時はいかにも本気でした。それと同時に、楽しかったですよ。自分は良い事をしてるんだ、という気持ちというものは、心地が良いのです。
それが間違っていようが、現実に起こらない事だろうが、心の内では良い事なのです。そう思っている時の心の在り方というのは、人間の多くの方にもきっとあるのではないでしょうか。

私はその後になって内省をして、後悔の念に駆られるまでがワンセットなのですが、他の方々も同じなのでしょうか?
火付けをしてる間は後悔がそれ程働かなかったですね、だからこその妄想なのでしょうか。でも、後になって来る内省と後悔も、ある意味では妄想ですね。なぜなら、該当者に善悪の確認を取ったわけでもないのに考えて思い込む事ですから。

そう思うと、私は被害妄想に結構囚われがちなんですね。病気になってからは誇大妄想もセットですけれど。なるほど、新しい自分を発見するというのは、興味深い事です。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。