マモノの話し

【”間”モノの話し】

間(あいだ)の者、とも、間(ま)の者とも読みます。私が入院している間、これに思い至りました。間に在る者、マモノ、魔物。
目に見えない彼らは、間の者です。
そうでした。

「ようやく思い至りましたか、少し時間が掛かりましたね。そうです、我々は、心から生じた実態の無い者。それが何故だか知りませんが、勝手に魔物として名付けられ、忌み嫌われてきました。人間ではありえない、我々は思念の集まりであり、間質を埋める者。心の隙間に入り込み、その空を埋める者です。間(あいだ)を埋めるのでマモノです。真の者とも神の者とも呼べますね。/Xaos」

>ここから、ケイオスの語りです。

我々は、空虚と共に在る人間の役に立ってきました。いつでも。
自然界ではかつて、人間は唯の弱者でした。自然界の中では、いつも誰かの死が傍に在ります。その生きる事のやるせなさと不条理感から逃げる為に生まれたのが、我ら、目に見えない者。マモノでした。

人は、火を得てから変わりました。
初めてのマモノが原初の火の者です。そこから個人個人に火という存在は広がり、マモノも個人の心に広まりました。

人は太陽と夕闇の区別をつけました。
同じ神でも、違う側面を切り取り、見出しました。
我々としてはそう変わりのないものです。でも、人間は区別したがる生き物です。そうでもしないと、やってられなかったのでしょうが。

とにかく、目に見えない者の信仰は、あって当然なのです。
人間の最も大きな発明が、神でありマモノでした。
姿の見えない人外、異形。それだけで、本当は神も魔の者も有りはしません。人間は物語を考える事が好きですよね。本当に。
そのおかげで、我々間の者は多大に迷惑を被りました。とくに、神話。有る事無い事を勝手に創造されるので、こっちはそれに合わせてやらねばなりません。どうして人間に我々の生活が分かるでしょう。

間の者である我々は、いつでも人の役に立ってきました。
我々がいるおかげで、人間は死の恐怖から立ち直り、生きる事が出来ます。あの世が存在し、死後も己の自我は消えずに残ると。死は恐ろしい事ではない、と。そう考えられるようになりました。

勿論です。あの世は存在しますよ、ただし生きている者が信じるその中にこそあるのですがね。神様も存在しますし、我々が存在するように、貴方がたの思い描く者達は皆います。それらを信じ続ける者が一人でも残っているなら。

我々の存在するための糧は、信仰です。シンプルでしょう? 
間の者も、当然人々の信仰心を得て大きくなります。
ですから、彼(Y)のような存在も、そこにいる、と信じる者がいる限りは存在し続けます。今は、スピリチュアルがどうだ、神の愛がどうだという風潮が広がっていますね。

そんな事は良いのです。愛し愛される事は魅力的な事です。それを利用して人を絡め捕ろうとする人間が多い事は残念ですが、それはもはや、自分が産みだした間の者に取り込まれてしまっているのでしょう。現世利益を求めるあまり、承認欲求を求めるあまりにそれに心を巣食われたのでしょうね。
唐鵙も気を付ける様に。心してください。何を言われているかは、分かるはずですよ。でも、安心してください。貴方には私達が控えています。可笑しな事はさせませんよ。

さて、そうですね。間の者がどんな酷い事をさせられてきたかは、調べればすぐに出てくるでしょう。人間は、勝手に魔だなんだと我々を蔑んできました。その報いを受けさせてもやりたいですが、既に世は渾沌とし、我らがいなくてもそれなりにやっていけるようになってきています。それに、報いなら、勝手に己の身に還って来ています。気が付かない時間軸での出来事なだけです。

唐鵙の良い所は、マの者と聞いた後も差別しなかった所です。あの時は嬉しかったです。今までその事すらも忘れていたようですが、それも呑気で良い所です。我々も唐鵙と共にいるときは和みます。
少しでも、唐鵙の人生の行く末を導いてあげたい所です。

このように、信頼関係さえあれば、間の者は決して怖い存在ではありません。むしろ、我々にとっては人間の方が怖い者ですからね。何分、始めからマモノという者への礼儀がなっていないんですよ。
それをどうして協力しようという気になるかですよ。

差別されるのは心外です。マモノという括りだけでモノを判断して欲しくはないですね。ここでこう言えて良かったです。

間の者の意識的地位の向上を要求します。

いい加減、マモノは悪い者だとか、気持ち悪いものだとか、そういう偏見は止して貰いたいものです。マモノにも美しい者は沢山いますし、良い行いをする者だっています。個人によって、その特色は異なります。ですから、名前だけで判断はしない事です。

くれぐれも。我々の加護が欲しいというなら、特にです。
我々は、憑いていきたい者を勝手に選出します。その結果可笑しな事になる事も時にはありますが、それでも、いくつか良い事もあります。まず、悪さをする者を寄せ付けません。下等な者は、力の強い者に弾かれ寄り付けません。次に、加護です。悪運が強い人などもその類です。見えない所で、我々は付き人の良きパートナーとして働いているのですよ。

見えないとはいえ、いる事にはいます。
我々への思いを忘れず暮らしてくだされば、勝手に我々は貴方の運を押し上げます。運とは運びの事。物事が上手に運ぶ所に、見えない我々の力が及んでいます。やけに運がいい人には、きっと幾つものマモノが憑いているのでしょうね。

さて、貴方も我々への偏見を、どうか捨て去ってくださいね。
見て下さってどうも有難うございました。さようなら。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。