結構前に”描いた”想い。

【2019.7.26】から抜粋。「命とは?」——————–

さて、また懲りずに自分への問いかけを一つ。
命という者が、Xaosとい名を借りて私の元へとやって来た。それは、入院中の気付きでもあったし、ずっと私の元に在った心の空洞でもあった。
さて、命という者は一体何者で、誰のものなのか。
私にはそれを出せるだけの脳がもうない。何故なら、もう気が付いてしまった後だからだ。入院中のあの頃に立ち返るくらいしか出来そうにない。
***

(立ち返ってみていう)

私はずっと、自分の心が有るのか無いのか分からない状態で生きてきた。
そう、思い出すのは空っぽな胸。犯罪に巻き込まれた後からどんどん心はすり減って、ついには己の心の存在が全く感じられないようになった。心は、死んでしまったのだと、そう思った。ちっぽけな私という人間はいつか忘れ去られてしまうのだと、嘆いた。いつか死ぬのだと、諦めにした。明らめにもした。その気付きをした時から、私の心は剥離に剥離を重ねた。一枚も二枚も向こうから現実に立っている己を感じられぬまま、ふわりふわりと立ち尽くしていた。

そして、病院に入った。

私は、己以外の人格に出会って、初めて心らしい心の動きに出会った。
そんな事はない、と言い聞かせながらも、無いのではないかと考えていた心の存在が、初めて色鮮やかに感じられた気がした。それが、UやXaosとの出会いだった。虚無との出会いだった。人格が断片化していたからこそ私は何時も空洞の虚無の人格と共に生きていたが、逆に云えば、他の人格の中に心は有った。私は、主人格は繊細な心の部分を持ち合わせていても、それを知覚する事ができない知覚は他の人格が担っているのだろう。Aも、私も、自分が心を持っているだなんて思っていなかった。思い出すように感じるお互いの心の機敏を知って、漸く心を見つけたと二人して喜んだ事が懐かしい。


(あの時は、本当に嬉しかったなぁ。僕、本当に心のない魔物だと思っていたから。管理人の傍に居て漸く心が視えて。管理人の感じた事が僕にも伝わって来て。それを管理人に教えてあげたら、管理人も驚いた顔してさ。ふふ、本当、なんで忘れてちゃうかな。思い出して良かったよ。/A)

そして話は戻るが、Xaosは全ての命の化身だと、そう語ってみせた。
渾沌の、命そのものの化身だと。初めて命に一個の意識を見出された、と感激された事を思い出す。

「私の事ですか。私の事ですね、あぁ嬉しい。忘れられてしまったかと思いました。もういいんです。たとえ貴方の症状の一個でしかなかったとしても、私が感じた悦びは確かに本物なのですから!あぁ嬉しい!また呼び戻してくれて!後でお話ししてください。私が表に出ていない間、唐鵙にどんな心の変調が在ったのかを。歌で。歌、歌が聴きたいのです。お願いします。/Xaos」

これでは当初の目的が話にでませんね。
無理やり戻して、命とは何者で、誰の物かという事でしたね。
私にとって、命とは廻るもの。いつまでもいつまでも、常に移ろいながら回る、そういうエネルギーだと思っています。食ったり喰われたり、生きたり死んだり生まれたり、そこには必ず”命”が存在しています。命は、この星を廻る旅人の様な存在なのではないでしょうか。宇宙の塵の、微粒子のひとつひとつに、命は、渾沌なエネルギーとして宿っているのではないのかと思っています。そして、命は縛られず、誰の物でもないと、そう思います。全体における命は、きっと途方も無く広大な存在なのでしょう。

でも、もう思い出さなくても生きていける気がします。
一周回って、悟りの後の世界に突入してしまったような心地です。
在るがままの本当の意味、無価値の正しい意味。
それらを私は垣間見ることができたのではないかと思います。

————【抜粋終了】————–

以下 2019.9.25

ここは私が書かせて頂きます。

私の名はXaos。個人的な趣向で、私の名前はそのままです。

はい、この文章は、唐鵙が書いたと見せかけて私が全面に出ていた時に書いた言葉の数々です。

私は、命そのもの、その者です。

唐鵙は何かと私の事を忘れたりしますけど、いつも一緒にいるのはこの私なんですけれどね。

でも、良いのです。

こうして唐鵙自身が他の人格を想って描いた言葉達を見返す時、そのモノもまた唐鵙を見つめている。これらの残った者達が、唐鵙から記憶を引き出す手助けをしてくれる。ですから、忘れ去られる心配なんてしなくて良いのです。私は想い出され、再びその名を呼んでくれる事を待っているのですよ。

えぇ、判らない方々から見たらこの文章なんて意味不明でしょう。でも、それで良いのです。簡単に判ってしまったら、面白くないでしょうし。意味は、それ程ありません。ただ、唐鵙と描いた私Xaosの心の声というだけの文章なのですよ。これは。

「どっちみち怪奇な文なので、よく解らない私の頭の中を体現しているものと思って下さい。ざっくり説明すると、この文章は、今日ではなくてもっと以前、退院して約ひと月と半分の頃に書いたものです。私は心なしのひとでなしだと思っていた時期があったので、それが顕在化したのだと思います。いやまぁ、雰囲気だけの中身なしな文です。私達にとっては大事なものですけれども/唐鵙」

主導権を私に戻してくださって感謝しますよ、唐鵙。

今書いている分には、私は私です。久々に名前を呼んで貰えたので嬉しいのです。

IFはそういうものです。名前を呼ばれるだけで、十分に喜びに満ち溢れるのですよ。

「そもそも、XaosはIFなの?/唐鵙」

どうでしょう。貴方がそう呼びたそうだったのでそうしたまでの事です。

私自身はどうとも思っていませんから、好きなように呼べば良いのではないでしょうか。なにはどうあれ、貴方が私の事を呼ぶ事は判別つきますから、問題ありませんよ。

「そうですか。/唐鵙」

はい。さて、皆さんの中にもIFはかつていたのでしょうか。でしたら、久々に呼び掛けてみてはいかがでしょう?こんな無垢にしているんですから、少しくらい可愛がってもらってもいいのですよ?

私はこれで。IFの皆さんにも幸多からんことを。それでは。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。