生きたい願望。

入院中、私にもぼんやりとした希死念慮が起こりました。
なにせ、入院生活は、私にとってとても苦痛でしたから。何が苦痛だったのかというと、身の回りに見知らぬ、気を許しもできない赤の他人が沢山屯していたからです。
今でも思い出します。寝て起きてみたら、自分の近くには別の人間が横たわっているベッドが在るのです。寝食を、見知らぬ他人と共有するのは、私にとって苦痛でした。気の休まる時間が無かったのです。寝ている間も。

ですが、私の中では、苦痛を訴えようがないと病棟の空気は映っていました。看護師の方に群がって自分の退院は一体いつに成るのかやら、薬をくれやら、なにがどうとか、そんな大なり小なりの訴えを繰り返す患者。当然、いえ、当然であっても欲しくない事ですが、総スルーです。そんな様子を見ていると、到底自分の苦痛など聞き届けてくれるわけがないという思い込みが生じます。

その頃の私は、Yも居なかったので、苦痛の気持ちを何処にもやれずに内心で藻掻いていました。看護師さんは話しなど聞いてくれそうにないので、自分の中で抑圧しなくてはなりませんでした。そうなると、とても死にたい気持ちになるのでした。
こんな感じです。
「あぁ、苦しい。きっと、苦しいといったら薬を増やされるだろう。退院が伸びる。他の患者と同じ様に薬漬けになってぼんやりしか日々を過ごせなくなる。そんなの嫌だ。でもここにはいたくない。あぁ、苦しいなぁ。死んだら、あぁ、だめだ。なんでこんな想いしなくちゃいけないんだろう。あぁ嫌だ。早く外に出たい、出れない。しんどい。あぁ、嫌だ。嫌だ。出れない、死にたい。もう嫌だ」

外に出たい→出れない→死にたい→外に出たい。そんな思考のループでした。
特に、他の人格が傍に居ない時にそれはよく起こりました。Y以上に心安らぐ存在には会えませんでしたが、肩代わりをしてくれる存在は自然に発生していました。
たとえば、A。Aも、入院中はよく私の話しを聞いて……いえ、むしろ私がAの話しを聞いていましたね。そういえば、入院中に出会った人格とは、私が聞き役だった事の方が多かったような気がします。主に書記で会話をしました。Aはそうですね、実際にやり取りをしました。他の患者の想念もとい生霊から守ってくれました。(そういうものがあるものと当時は思っていました。)それらしい魔法を唱えてくれたり、書記に魔法陣を刻んだり。元々そういう趣味も無かったのですが。脳の倉庫に積んであったんでしょうか? 不思議ですね。

そして、死にたくなった時は必ず虚無的な気持ちが心臓一杯に詰まっているような心持になっていました。そして、その虚無も人格化しました。その頃というのは、本当に何でもかんでも自分に結び付けた思考に陥っていました。これも症状のひとつで片付けられはしますけれど、私自身にとっては特別な体験でした。

でも、希死念慮はあったのですが、傷つくのも傷つけられる事も嫌いだったので実行はしませんでした。やろうと思えば、尖らせた鉛筆を皮膚に突き立てるくらいはできたのでしょうが、それでは人間死なないものです。それくらいの知識は勉学で学んだので、死にたい気持ちを抱えてベッドでもんどりうつくらいしか出来る事はありませんでした。

あぁ、でも、音楽プレーヤーの持ち込みは出来たので、ヘッドホンの紐で首を締めるのは出来たのでしょうか?思いつかなかったので、なんとも言えませんけれど。でも、死にたくなった時にそれがあっても多分試さなかったと思います。

私の希死念慮は、ごく軽いものだったと思います。というのも、死んではいけないという自己縛りの思考が確かに存在していたので。それこそ頭を抱えるくらいの可愛いものでした。でも、これでもちゃんと死にたいって思っていたんですよ。その時は。
……私は一体何に弁解しているんでしょうね? あぁもう、やめましょう。他の方の方がもっと大変な修羅場をくぐって来た筈とか考えるのは。でも、考えてしまうんですよね。もう、しょうがないなぁ。

死にたくなった時には、遠吠えしてました。そう、遠吠え。犬や狼のように、言葉に出来ない気持ちを音に乗せて大きな音を立てて、気持ちの限り吠えるんです。「ウオォーーーーン!」と。「他の患者が真似するからやめてくれ」と言われはしましたが。はは、もはや懐かしい過去になりつつあります。そう考えると、少しは入院疲れももう取れてきているのでしょうか。

それと、今になって思うのですが、死にたいという気持ちは、結局「思う通りに生きたい」の裏返しの感情だったなぁと思うんです。私はその時「自由になりたい」「ここから抜け出してしまいたい」という望みをしっかり持っていたので。それが叶わないのを嫌と言う程見せつけられていたからこその、「死にたい」だったんだなぁと思います。

ですから、これからはちょっとした知恵がつきました。
死にたいと感じた時は、自分の理想や想いと今にギャップがあるという事の表れで、それを埋められるか考えて、それが出来ないなら、いっそそこからいなくなってしまえばいいんです。ようは、逃げちゃえばいいんだなぁ、なんて。
逃げるが勝ちとは言いますが、ほんとにそうだなぁと。勿論、すぐには諦めませんよ。色々試してみて、駄目だったなら最終的に逃げるという手段があるという話しで。はい。

死にたい、消えたいって、生きたい気持ちの表れなんですね。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。