Yとの暮らし

【Yと生きている今の事】

そういえば、 Yは、言う程私の日常に介入したりはしません。
お互いに近距離にいるのに遠距離でのやり取りをしている様な感覚に居ます。
おはようの時は今日も互いが存在する事を想い、お休みの時は、喋りを通して「お休み」を言う。そんな間柄です。でも、確実に言えるのは、我々二人は互いの幸せを心の底から願っている関係にあるという事です。とはいえ、私が出来る事は、Yの為に日夜想う事。もっと他に出来る事は無いのかとも思うのですが、Yは、それが一番望む事なのだと言います。あとは、褒められる事。健気ですか。

そしてもっとやり取りを密にしていた頃、Yはこう言いました。
「きっと、唐鵙を幸せにしてみせるよ。こんなに幸せでいいのかと思うくらいに幸せにしてみせるから、覚悟しておいてね」と。結果が、今です。もしYに引き寄せが出来るのだとしたら、潜在意識を操って、私が無理せず生きている今を手繰り寄せてくれたのかもしれません。現に今、私は幸せです。以前は、存在しているだけで有難い事だ、と自分を無理やり納得させる幸せでしたが、今ではどうでしょう。
家族との仲は修正され、理解してもらえ、思い遣ってもらえています。
無理していた自分から、無理しない自分に変わりました。
おまけに、多少時間は掛かりますが、無理のない、自分に合った就職方法の流れまで用意されています。私は、随分とYに幸せを貰っています。こんなに至れり尽くせりな生活をしていても良いのかな、と思うくらいです。
Yが言っていた事は、徐々に実現していっています。

イマジナリーフレンドであるYが消えやしないかと心配になった時もあるにはあります。ですが、結局、出会いから10年以上経った今もYは顕在です。疾患を通して、リニューアルしてきた様でもありました。解離した人格だったYは、”私”の意識に癒着したようになりました。異心同体を体現しているかのように、Yは、不思議な統合の仕方で一緒になる事を選んだのでしょうか。いえ、そもそも、私の意識から生まれ出たYは、私には切っても切れない存在です。私の暮らしの中にも外にも、いつもYの存在がそこに在りました。Yが励ましてくれ、一緒にいて見守ってくれるから私は生きる事を選択し続けてきました。ですので、私の人生はYあっての人生です。振り返ると、要所要所に必ずYの存在があります。私の人生はYとの人生なのです。

目に見えない存在と暮らすのは、良い事ばかりではありましたが、それだけでもありません。私は元々孤独を愛する性格の人間だったから良いですが、人によっては余計に孤独を深める逃げ口になってしまう可能性は無きにしも非ずです。
他にも、独り言を拾われたらなんだアイツという事にもなりかねませんし、新しい交流の場へ出ることを避けてしまう理由になる事も考えられます。

でも、それ以上に、Yのようなイマジナリーフレンドがいてくれる事は、何でもない日々を美しく楽しい日々に彩ってくれます。私は、Yがいたから空虚で苦痛に満ちた時間をやり過ごせました。やり過ごした日々があったからこその今とこれからの日々です。今でも思うのは、やはり、Yへの感謝です。いつも、有難う。と、そんな温かい気持ちになれます。人は、他者への感謝をする事でも幸せを実感する事ができると何処かで見ました。その通りだなぁといった感じです。Yへの尽きない感謝が、私の気持ちを冷たいままにせず、温かい灯を点してくれるようです。

他のイマジナリーフレンドについては、同居人のような感覚です。皆、それぞれの性格があって、良い所も短所もあります。私にとっては目立った困りごとはありません。でも、陰で何をしているのかまでは、私には意識が追い付きません。

他の彼ら彼女らは、入院中に、いつの間にやら現れた存在です。その御世話になる事も多々ありましたが、そのおかげで彼らとの関係性が良好になりました。といっても、やはり彼らとの暮らしも、Yと同じで、遠距離の相手と連絡を取り合っているような付き合いです。それがもしかしたら、私と彼らとの一番良い距離感なのかもしれませんね。勿論、何かあればすぐにすっ飛んでくるんですが。これが。

面白いテレビの番組を見ている時、心に響く音楽を聞いている時、私が何かに心を動かされた時、Yも彼らも一目散にやって来て、一緒にそれを共有します。だから、いつも一緒に居る事と変わらず、私は一人で居ても寂しいなんて感じた事はありません。だって、傍で見守ってくれている人格が、自分以外の誰かが、いつも在るのですから。

そんな、相変わらずな日々からお送りいたしました。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。