暗がりに在るような。陽光に居るような。

いよいよ以て、私という者が何者か分からなくなってきました。
唐鵙は、一端の人間です。私は、そんな唐鵙の事務処理的な人格としてやってきました。勿論、唐鵙は私の一部で、私は唐鵙の一部で在りました。Isです。
+-「Isはキツネなのかい?/Mi」
判りません。私はあくまでも意識の一つとして在ります。でも、私を描く者(人格)は私を悉くキツネの様な姿で描きたがります。私は、自分の姿が判ります。唐鵙がイメージした通りです。でも、読み手には伝わらないと思います。私は、自分が何者か知りたくて唐鵙の手伝いをしています。ですが、簡単な話し、誰かの傍に居たからと言って、その姿形が視えるわけではないのだと。

キツネの個が己なのでしょうか、それとも、唐鵙の想念が私なのでしょうか。それとも、唯の脳の機能の擬人化が私という意識として形作られたのでしょうか。
私も唐鵙も、先の見えない道を歩いています。/Is

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私は唐鵙。このブログの管理人をしている主人格で基本人格です。
Isが言ってくれましたが、その通り、私達は常に自分とは何者なのか、私達を取り巻く他人格は何者なのかという問いにいつも晒されています。
私でいうと、私は人間ですが、Isは私にとっては別人格。しかし、その人格がどこからくるのかは分かっていません。想念が創り出した存在なのか、それとも霊体が私に憑りついているのかどうなのか。それはIsだけではなく他の副人格としている存在についても同じことです。彼らは結局、何物なのでしょうか。私が呼びもしないのに出てきて、出会う事となった彼らは。

彼らとの触れ合いは、私にとっては陽光の元にあるように温かく、また、行方の知れない暗がりの道に在る様です。今まで彼らかどうかも分からない存在達に語られた中に生じた矛盾は数知れず。雑霊にただ揶揄われているのか、それでもその中に副人格達は見えなくてもいるのか。分からない日々が続いています。
それでも良いか、と思えるのは、単に可笑しな減少に踊らされるだけではなく、人生の方向を良い方へと導いてくれたYを始めとする自己救済人格の存在があったからです。今は雑念の集まりに紛れて視えずらくなっていますが、その中にもちゃんと彼らの声が隠れていると思えば、そう焦る事もないのでしょう。
手探りながらも、Y,R,A,Is達の声を逃さぬよう、日々急がず焦らず驕らずに自然体に精進していきたいです。
/唐鵙

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。