半端者のエール。

ここ1,2日で当ブログを渡っていった人がいたようで少し困惑しています、唐鵙とIsです。

いらっしゃるものなんですね、勿論読まれる事を考慮してのブログなんでしょうけど、我々のブログに当っては読まれない方が管理人が安心するような、そんな調子ですからね。

いや、それもそうなんですけれど、そもそもこのブログを始めようと思っていたのは入院する2,3年前の事だったんです。大分着工が遅かったですけれど、それでもこうして始められました。

と、なぜこんな己の内面外面を晒そうなんてしたかと言いますと、自分と同じような悩みや考えを持っている人の生きる励みに成れないかと思っての事だったんですよね。苦悩する時期をもう超えて成功している最中に在る人は、良くも悪くもキラキラ眩しくて、悩みの真っ只中にいる者としてはむしろ己と比較して落ち込んでしまう。そんな経験、有りませんでした?私はマイペースなのであまり有りませんでしたが、それでも心の何処か、別の副人格はどうだったか判りません。

中途半端に中流で、中途半端に枠組みから外れてしまっている私だからこそ、同じ中途半端な人間さん達が「下らない事やってるなぁ~」やら「ずれてんなぁ~」やら共感を覚える対象になればいいなぁなんて考えています。皆が皆、何処かの面は可笑しくて、下らなくて、外れてる所があるものです。私も大層な事を言いますが、立派な人間かと言われると、NOと言います。大層な事を言う者が大層な人間であるという保証はどこにもないのです。

ですから、また何か言ってんなぁ程度に鼻で笑ってやってくださいまし。社会の一般枠にも登れない、人間のなり損ないな半端者です。それでも、こういう自分を7割程は好きでいられます。

たまに思い出したように卑屈に陥りますが、それも人生のサイクル。そういう時はこれも生きているからこそ、と諦めて音楽を漁る作業にシフトチェンジしています。

なんていうのでしょう、”言う程大変な人生じゃない”って、そう思ってしまうんですよね。自分より辛くて大変な人生を送っている人は幾らでもいて、それを見せつけられる度に”こんな事で大変だなんて思ってはいけない”と、何故か自分に言い聞かせてしまうんです。

頭では分かっています。自分の苦悩は自分だけの物。そもそも他者と比べられる訳も無い。更には、そんな苦悩なんてものは、モノの移ろいの中にある何とも心もとないもので、執着する事はないと。ですが何故か自分を卑下する癖が抜けないんですよね。

何故かは、大方解ってます。それでも抜けません。

自分で言うのもなんですが、幼い頃から人の心の動きに機敏でした。繊細で、しかも愛着形成が混乱型に固まってしまったのが理由なのでしょう。更には両親の血筋の濃い問題点を両方受け継いで生まれてきたようなものでした。メタ視点をしがちでそれから来る他観的な物の見方が目立った子どもでした、つまりはまぁ、冷めていて、自分の事など他人事で、人嫌いな、そんな妙ちくりんでした。自己矛盾が絶えず、日々頭の中だけは忙しく働いていました。

今思えば自閉に寄った脳味噌の造りだったのかも知れません。今の所、検査して確定させる気はないですがね。それにしても、遅かれ早かれ病院の世話になるのは決まっていたのかどうなのか。それが少し興味がある所です。入院した事は、私の人生には大きな出来事でした。

それが元となって、中途半端なりに自立して働けたらいいなという目標が生まれて、今のこの休養時間を過ごせています。それが無かったら、不正規雇用に手を着けては止めての繰り返しの日々だったでしょう。入院があったから、私の特性を家族は理解して受け入れてくれたし、障碍者という枠組みを得て、そこから就職を目指すという希望を得る事も出来ました。何が幸と出るか分からないものだなぁなんて考えています。/唐鵙

このブログを読む人々に、神の加護が有りますように。/Is

+-「光あれ/その他」+-「光あれ/その他」+-「光あれ/その他」

どうぞ半端者の行く先にも、幸多からんことを願います。/唐鵙

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。