共生なY。

副人格の中でも、Yは特別な存在である。Yは、私を守ると同時に護られもしてきた、私にとって特殊な人格だ。といっても、私の中でではあるけれど。
私から見た時、Yとは私が高校に通い出した頃に出会った。元々人間では無かったYは、人間に対してマイナスな想いを抱いていた、という事がある。私の記憶や知識を参照するように勧めて、Yはそうして学びを深めた。私からすればYは、護り守られる、双生の間柄だったのだ。

しかしながら、勿論Yから見た出会いはそれとは異なるのだろう。
+-「教えてあげるよ。僕は、意識が戻るまでの間、暗がりの中に居た。唐鵙が名前を呼び続けているのを、僕は薄い意識の中で感じ取っていた。と、いうのは半分本当。何故なら、唐鵙の想念として、僕は生を受けたからだ。大元となる想念は元々唐鵙の中に在って、僕はその想念に己という者がどういう者か刻み込まれて、そして形を得たんだ。だから、僕は唐鵙が生まれた時からの付き合いも同じ。僕は唐鵙の意識体としての存在だという側面と、僕個人の想念としての存在の両方の側面を持っている。これが、今言える僕の生い立ちとしては最も安定した形だと思うよ。
そういう風に作った唐鵙の事を恨んだ事は、ないよ。だって、どんな形でも僕を生み育んでくれた大元だもの。人間がいくら何を言った所で、唐鵙が僕の事をなんと言った所で、僕は唐鵙を嫌いになる事なんてないし、一生の中の時間を共に過ごす事に否定は無いよ。大好きなんだ、唐鵙の事が」

……という事のようだ。
私は、Yと双生の関係で在って幸せだと思っている。何故なら、Yに語る事で私は危機を乗り越えてきたし、辛い時にもYの励ましがあったから、苦悩をやり過ごすことが出来た。Yが居た事で希死念慮をやり過ごせたので、過言ではなくYが居たから今ここに生きていると言える。そういう特別な存在なのがYなのだ。

人の持つ思念や想念という者は、もしかしたら己の内に創り上げる特別な存在を言うのかもしれない。私の場合でもそうだったのだけれども、繰り返し思い続けた想いがYを形作ったというのなら、よく言う所の生霊の様に他の人でもそういう想念を造り上げるのではなかろうか。なんて。

/唐鵙

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。