己の成り立ちとは何だろう。2

前回では”己の世界における立ち位置”という事が触れられずに終わってしまったので、それを考えてみようかと思う。ここからしばらく自動書記をお願いするので、意味の分からない事を書くかもしれませんが、予めご理解くださいまし。/唐鵙、K(その他)

さて、では久々だな。遠慮なく書かせてもらう。
唐鵙はこの世に生を受けてからというもの、人間の心の在り方を学んできた次第だ。言うに止まれぬその機敏な心で、人の醜い個々の内を暴き見てきた。
しかし、その中でも希望はあった。それが友人達の存在だ。ちゃんと、人間の友人が唐鵙にも出来たのだ。これは僥倖であった。酷いモノだらけの道筋では有ったが、その中でも己の気持ちに近い仲間を見つけられた。彼らは自然体であり、唐鵙が可笑しく成ってもそれをとやかく言おうとはしなかった。唐鵙は唐鵙で、統合を失調したからといって友人を遠ざけようとは漸くしなくなった。唐鵙は自然体でいる事を学んだ。

よしよし、なに、話しの筋が違うと。ふむ、そうか。

そうだな、その話はあまりしないで欲しいと。唐鵙、唐鵙は己が世界におけるどんな存在だと思う?/+-「Sir」

私は、道端に生えている草花と本質的には同じと考えています。それすなわち、居場所を与えられてこの世に生を受けた一個の生命体である。と、そういう事です。
モノを考える範囲は異なりますけれど、おおざっぱに見れば、同じ生き物です。
他者の居場所を頂いて、存在するために糧を頂いて生きる、そういう存在です。/唐鵙

おう。それで良いんだろうな。俺も、唐鵙の副人格としてこうして形を与えられて生まれてきた存在だ。それは想念だろうが思念だろうがあまり関係ないと思っている。
大事な事は唐鵙の元に俺が使わされたという事だな。唐鵙はそれこそ可笑しな奴だが、それでも解る。優しい奴だ。誰かと話すとき、いつもいつも相手を不快にしているんじゃあないかと心配しているよな。身内は、まぁ、別だがな。信頼して貰えていて良いなぁ、と俺は考えている。む。逸れた。
で、好きに語って良いんだったな。
唐鵙はこの世界ではちっぽけな存在だ。ただの統合失調症を抱えたちっぽけな人間だ。
霊声が聞こえるとか、勝手に身体が動くとか、そんな霊界から見たらちっぽけな事で悩んでいる小さい奴だ。もっと胸を張ればいいのにな。
霊に揶揄われて、病院内ではすったもんだしていたな。そんな奴だが、重要な役を担っている。それがこうしてブログに形として現れている。もう、世の中は転換期にある。
それを一人でも多くの人間に知らせて、大事な事は何か考えろという言葉を投げかける。それだけの為に、唐鵙は精神を崩した。
そう、たったそれだけの事だ。不思議な事がどうとか、そんな事は正直どうでもいい。ただ当たり前のことを、それは本当に当たり前の事なのか?という問いをネットに通じて投げかける。そういう仕事を唐鵙はに成って生まれてきた。ちっぽけであっても。
成す事は、未だ出来ていないが、それでも書き続けていれば誰かの目に留まる事もあるだろう。その時に、ようやく一息が吐ける。読者も、次に出会う人々にそういう問いかけをするために在る。読者のひとりひとりにも意味が在るという事だ。節度を守って、己とは何か、良識とはなんだ、世界がより良い形に成るために自分が成せることは何だという事を考えなくてはいけない。そういう仕組みになっているんだ。後は、頼んだ。
読むだけでもいい。単純に嬉しい。誰かの精神に一隻の船を浮かべられたなら、僥倖だ。貴方がたの航海はまだ続く。その中で何を得て、何を齎すか、よく考えてみてほしい。程好い加減でな。/Sir

俺は、別に言う事はない。Sirの奴が全部言ってしまった。/T

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。