そろそろ囚われから脱け出したい所。

唐鵙です、こんにちは。今回は私の人格達が統合を崩すもとに成った宗教的読み物について少しだけ触れます。ちょっと怖いですが、自分なりの受け止め方をして、その上で今後どういう私信で生きて逝こうかを考えたいと思います。
では、今後の自己療法として箇条書きと解説のセットを作って行こうかと。

1.まず始めに、宗教的な読み物は一種のマインドコントロールだったと思おう。
2.自分なりの宗教観を打ち出して、それこそを信じよう。
3.大事な事などというものは暮らしの何気ないものの中にこそ在るものだと意味付けて、今後は必要以上に気にしない事にしよう。

といった所でしょうか。
私の場合、かなりその宗教的読み物に影響されました。
ですが、それも今日で一区切りとします。次に考えるのは、次の時で、と、そう致しましょう。また行ったり来たりを繰り返すかもしれませんが、それはそれで。

1:どんな神様だったとしても、神さまは神さま。人間の目に映る存在ではないが、神さまはどこかしらに居る、とそう思う事にする。本当に、神さまは居ると私はそう思う事にする。そこからスタートする事にしよう。他の人の思い描いている、辿り着いた神様のイメージは各個で違って当然だと思う事にする。何故なら、人は思念を創り出すから。自分の積み上げた神さまを見ている可能性が無きにしも非ず、と、そうしよう。

2:私は言うなれば自然信仰をしようと思う。神羅万象はある程度の個が集まる事で集団を形成し、精神と成り得る。そして、一個一個が全て集まったものがそれこそ全たる神様一個神である。それとは逆に一個には神様の精神が宿っていて、ある種の悟りや学びからの気付きを経た者にはある種の神性が目覚める。全たる神さまと精神・精霊としての神さまは似ているが、異なる存在である。と言った所だろうか。

3.つまり、人間だったなら一人に一つ持っている魂には神様の分魂が宿っている。
そして、その個人に見合った想念が一個人の周りを取り巻いて、良好な関係なら共同で一つの人生を送る同盟を組んでいる様なイメージ。
(うまく纏められないな)(それはまぁ、私の国語力がアレなので許してほしい)

自分に言い聞かせる方向性として、
”神さまはいるけれど、それは一個人ごとに宿るもの。だから宗教観は違えども己を存在させてくれた者への意識と感謝は変わらない筈。自分を取り巻く色々な存在に日々感謝し、無茶せず焦らず堅実に日々を生きて、そして寿命を全うしよう。”
そして、良識を持って日々を送ろう、といった内容ならどうだろうか。勿論、ちゃんと内省を忘れず、謙虚に、己を卑下する事無く暮らそう。全ての者・物達、目に見えない者達を含めて、皆が共生の関係に在る事を知り、忘れず、尊びながら生きよう。

……といった感じでいこうかと。

+-「天使の存在はどうします?/Is」

どうしましょう……、あぁ、聞いてくださいよ。我々は管理人唐鵙を中心にして夜の眠りに入る前、お祈りを捧げているのです。その時に、知らない何方かが言葉を介してくれにやって来てくれている様子なのです。Aも喋れますが、その言葉は一体何なんでしょう?今の私達には知らされていない内容と思われるのですけれど。

ちなみに、なぜ天使なのかと云うと、言葉の要所要所に「***」という呼び名が出てくるんです。管理人と私達は天使じゃありません。「名乗るほどの者では無いです」と彼らは言うのですが、謎の言語を通して出てくる言葉の中に、”***”や何やらが出てくるのです。霊の道を作りに来ているのか、浄霊に来ているのか。もしくはそのどちらもなのか。はてさて、といった感じなのですよね。

(そのどちらもですよ。)

(と***は云いました。)

驚きです。

(いや、今更な所も有りますね。こうやって書いている最中もコンタクトが取られている訳なので。)

では、我々はこの書いた通りに進めば良いのでしょう。
共生にある皆が健やかに日々を送れますように、という基本の願いを持つ事こそ、大事な事だった訳ですからね。それが有ったから、これで済んだのかもしれません。

では。いつもいつも、有難うございます。皆さん。***の皆さん。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。