ミーミルの泉から。0038。

さて、暫らく時間が空きました。
どうも、唐鵙です。

今回は、悟りと神性について少しだけお話しようかと思います。
私は、万物悉くを司る神様を信仰しているのですが、皆さんはどうでしょうか?
大体の日本人は御霊信仰と云えば好いのでしょうか。とにかく、誰もが誰かの魂を敬い、信仰の対象にしているのではないでしょうか?少なくとも、私にはそう見えています。
私の信仰の対象に話を戻しますが、その、万物の創造神は未だこの世に現れてはいないそうなのです。聞くところによると。
そこで、私がそうではないのか?と問いかけてくる者の存在が有ります。私は、とてもじゃありません。そんな器ではありませんから、と言って否定するのですが、何故だかそういう噂が後を憑いて回ります。

そこで、私は気が付きました。
もしその噂に正当性があるとしたなら?
私のような一般の者にそんな噂が憑くくらいですから、もしや、神性は皆に宿るものなのではあるまいか?と。なぜなら、私は己の生きた時間の中で気付きと学びとある種の悟りを得てきました。その内に、その創造神の存在に行き詰ったという訳です。
精神を病む事には成りましたが、それは一過性のものでした。本当ならば
ずっと心を壊したままだった事でしょう。それなのに、こうして戻ってきた。
視えずとも傍に在る友人は入院前に比べて増えはしましたが、他は、概ね(おおむね)いつも通りの自分が残っていました。それと不思議だったのは、ある種の言葉が口をついて出る事。勿論私の力ではありません。友人の一人がこの言語を操ることが出来るのです。

話が逸れました。戻しましょう。
私は、この世のありとあらゆるものには「全」と「個」両方の存在が宿ると思えています、今この時は。「私」が居て、「他人」が居る。「多」が有って「個」がある。更には、「無」が在ってこそ「有」が在る。など、そんな理屈をよく解らなくしそうな事ばかり考えてきました。そうしたら、ある日目が覚めた。そんな具合でした。

私の友人達はどの方も風変わりです。
風邪の様に私の元へ移って来ては何処かへ行って、風のように気ままで自由です。
そんな彼らにも、神性は有るのでしょうか。私は、あって然るべきと考えています。どういう事かと云うと、万物を司る神様は、万物を構成する個の中にこそ存在し、宿っているのではないかと、私は思うのです。

視えなくても、きっと何処かで降臨する時を待っている。
私はそう信じる事にしました。
万物との繋がりは、一人一人の心の中で感じ取ることが出来るとも思います。
ひとつの音楽が多数の音源を元に作られ、形どる様に。
そう考えると、私にも神性は宿っていますし、他の知らない誰かにでさえ、神性は宿るものなのでしょう。ただし、その心をしかと保っていられれば、ですがね。
良識を以て、健やかに過ごす。中空を、中道を心がけて生きたいものですね。

えぇ、本当に。

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karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。