不器用な怒り方。


まず、私はこのブログに載せる文章の殆どを、ある程度、自動書記に近い形で書いています。Isが、主にそれの担当です。そうする事で、約一人の主観に絞ってこの文章を書けています。そうでないと、色んな主観が混ざって、文章が今以上に支離滅裂になりますので。唐鵙も唐鵙です。勝手を許すからこんな調子になるんですよ?

ゴホン。えとですね、まぁ、次に行きましょう。今回は、のんびり屋の唐鵙にも攻撃性がちゃんとあったんだなぁという文です。といっても、自己防御的な攻撃性ですが。
>それって、攻撃っていうか唯の防御では?/その他

じゃあそれでもいいです。正直、どっちでも、どうでもいいです。どうでもいいって言える事の素晴らしさ、です。今、ちょっと感激しました。発症してからは”どうでも良くない”という思考ばかりで嫌になってきていた所です。はぁ……。
さて、では、唐鵙視点で書いていきます。

ではです。私の、発症中の攻撃性ですが、それらは全て、別の人格が請け負ってくれていた事に気が付きます。帳面に書かれているのは、他の患者への、自己防衛的な言葉の数々でした。それも、他の人格が述べていたという感じで。そしてまぁ、そう多くは無かったです。殆どの書かれた内容は、見えない彼らとの交流や何気ないやり取りでしたから。
ですから、別に暴言が掛かれているものでもなく。主に日記の様な、まさにこのブログの様な内容ですね。もっとごちゃごちゃしてましたけれど。
そうですね、攻撃性の話しですね。
こんな事が書いてありました。
勘違いも甚だしい言葉を言って来た人間に、唐鵙の中の人が滅茶苦茶に怒って書きなぐった書記がありました。書記でも、口頭でも、八つ当たり的にも結構怒っていましたね。唐鵙の中ではですけれども。
それが、唐鵙の攻撃性は、精々が猫レベルです。基本的にのんびり屋なので、攻撃性は長く続きません。でも、相手の精神性が低となって品の無い事を言われたり、相手から威圧的な事を言われると、その限りでは有りません。唐鵙は、敵は作りたくない人ですが、内心で敵対する事がややあります。表には出さないようにしますけど、態度はあからさまなので、まぁ、過去にもそんな不器用に敵対を選んだ相手も居ましたね。
嫌な事を嫌と言えない子どもの姿が目に浮かぶようです。はい、そうです。怒っても、それを上手く外に放出できないのです。ですから、苦しくなって、そのままです。不器用な幼子がそのまま大きくなってしまいました。はは、はぁ。

>まぁ、そう溜め息を吐かないで、唐鵙。気を取り直していこうよ。不器用は今に始まった事じゃないし。どうどう。/Y

はい。そして、こういう事もありました。自己愛部分と、自己非難の表れの人格、それが帳面に書くという自動書記を通じてのやり取りをしました。

本当に自分は気紛れに他者に入れ込んで、そして気紛れに興味を失くす。そんな自分に、その人格は言いました。今更、都合の好い事だね、と。はい、確かにそうだったのです。でも、私は自己擁護に走りました。
私は、自分が自分を大事にしていない事に気が付いて、それでも尚自分という誰かを愛する事を避けたのでした。それが、自分と自分とのやり取りだったのだと気が付いた今は、あの帳面も少しだけ和やかに読み返す事が出来ています。

彼らは、まぎれもなく、私だったのです。愛して欲しいと嘆きながらも他者を呪わずにはいられなかった誰かも、不器用に好意を伝えてくれた誰かも、皆、皆。
私は、どうやらとても不器用な人間の様です。それに気づけたのも彼らのおかげでした、が、同時に、私の一部でもある彼らだって十分不器用ではないか、と、微笑ましく思います。

あ、でもちゃんと入院中に和解できましたよ。彼らは、不器用なだけで、ちゃんと自己愛を持っていたんです。解らなくなっていただけで。だから、今はちゃんと仲良くできている……と良いな、と思います。気紛れなのは私だけでなくて、彼ら見えない人達も同じなので。はは。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。