書く事は不思議

そう言えば、入院中は人格の統合と分裂の繰り返しだった事を思い出しました。
あの時は、振り返ってみると何故そうなったかが判りません。
けれど、その時には本当に、本当にこれこそが世界の真理だったんだ! と叫ばずにはいられないような、本当に嬉しい気付きの瞬間が私の元には訪れていました。どういうものかと云うと、自分が何者であったかという「何者」というのが、剥離した自分の人格の部分でした。
こうして勝手に文字を打っていく腕も、私の脳味噌も「何故」がどうにも抜けています。何故こんな事になっているのか、私自身で知る事ができないのです。

けれど、私は今日も文字を打っています。こうして、人間の端くれとして、今日も生きています。人間というものは中々厄介なものです。どうしてと言われると、具体的にお伝えすることが出来ないのですが、それでもです。
人間の厄介な所は、狭いコミュニティの中で、自分の立ち位置を自覚しながら生きていかなければいけない所だと思います。私が言える事はそう多くないですが、この文章達を読んでくれる方には、なんとなくわかる者が憑いていると思われます。人間は一人で生きている訳では無く、何か見えない者が共同で共に生きているものです。

それを見える見えないで切ってしまうのではなく、彼らは一体何者かと見定める眼が必要です。唐鵙にはそんなもの、有りませんけれどね。いつか霊視を受けてみたいと心から思っています。
今、少し視えそうな気がするんです、唐鵙でなくて、Isである私が。んー……やはり、見えませんね。まぁいいでしょう。今少し、ハイなんです。
何時か聞きたいと思っていた音楽を今聞いているので。はい。
スピーカーが壊れたと思って落ち込んでいたのが、スピーカーが持ち直したので好きな音楽をこのスピーカーで聴けることが嬉しいのです。それで、こんな有様です。不思議ですよね。あぁ、音楽というものはなんて素晴らしいのでしょう。音楽は、人の魂から生まれた言葉であり、心そのものだと思いませんか?

私は音楽が好きです。こう、聞いていると、慰められますよね。
見えない貴方がたにも、この気持ち、解って貰えるといいな、と思います。
今読み手の方に憑いている見えない方とお話しが出来たらどんなに良いだろうな、と考えています。あぁ、気の合う友人が欲しい事です。唐鵙は、残念ながら諸事象があって離れ離れになってしまいましたが。残念無念ですね。
でも、私達がいるから大丈夫、と言いたいです。こうして文章を通じてでなければ直接伝える事は出来ませんけれど、それでも我々は恵まれている方だという自覚はあります。ですから、まぁ、贅沢は言いません。あんまり。皆さんも唐鵙も、私達目に映らない者達の事を少しでも知ってくれたら、それで。

と、何も考えずに書いていくと、こんな事になりました。不思議だなぁ、と思っています。何も考えずに喋ったなら脈絡のない感じになりますし、それと同じような現象でしょうか。はてさて、です。
今読み返していても話が二転三転していて、自分が言いたい事が何処に有るのやらさっぱりです。でも、それもその筈。カウンセリングで喋って治すように、その代わりとして、こうしてブログとして書きだしている感じなので。
まぁ、これでも良いのでしょう。私という者は、元々何処から生まれ出たのか解らない者ですし。その私がこう訳の分からない話しばかりしたがるのも、ある意味ではこうなっても仕方ない、という事でしょうから。

karamozu
絶賛統合失調症ライフを送っています、しがない人間です。どうぞ宜しくお願い致します。